はるけくも峽のやまに燃ゆる火のくれなゐと我が母と悲しき
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から其の4の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。
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※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
はるけくも峽のやまに燃ゆる火のくれなゐと我が母と悲しき
現代語での読み:はるけくも はざまのやまに もゆるひの くれいないとあが ははとかなしき
作者と出典
斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の4 10首目の歌
現代語訳
遙かな山の谷あいに燃える火の赤い色にも私の母の葬り火を思い出して悲しいものだ
歌の語句
・はるけくも…「燃ゆる」にかかる副詞
基本形「遙けし」のク語法
・峡…山の谷のこと
・くれなゐと…「くれないの火」ではなく、「火のくれない」として色に焦点を当てている表現
「くれない」と「母」を「と」で並置する
・悲しき…基本形「悲し」の連用形止め
句切れと表現技法
・句切れなし
解釈と鑑賞
歌集『赤光』「死にたまふ母」の其4の10首目の歌。
作者茂吉は母の火葬の後、蔵王山の高湯温泉の旅館に滞在して帰京した。
温泉に過ごす間に山の谷に見える火の赤い色から、母を連想する場面。
初版の順番との違い
初版ではこの歌は次の「山腹に燃ゆる火なれば赤赤とけむりはうごくかなしかれども」と順番が入れ替わっている
「くれなゐ」と「母」の共通性
くれなゐの語順を「火のくれなゐと我が母と」としたのは、母の火葬の時の火の色を前の歌に記したために他ならない。
星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり
さ夜ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
これらの歌を受けた回想である。
「悲しき」とあえて感情語を入れているのも、その場で生々しく感じていたものが回想に代わったからだろう。
そしてその回想の時間的な隔たりは、今現に見ている炎へ「はるけくも」の距離があるのと同等である。
母の亡骸を焼くという生々しい悲嘆は、母の死の悲しみである「悲しき」の悲哀へと転じている。
他に、下三句の語順が複雑なのは、『異形の短歌』(品田悦一著)の解説によると「悲しみにつかれた放心状態」と好意的な評を受けている。
また、上に記した通り、初版では「赤赤とけむりはうごくかなしかれども」がこの歌の先にあり、その「赤」を受けて「くれなゐと我が母と悲しき」であったが、改訂版では、それが逆に置かれている。
「赤赤」の語のある歌を直前に置かなくても理解されると思ってのことだろうが、下句が「収まりの悪い言い回し」であるため先に初版には「赤赤」の歌を置いたのであったかもしれない。
蔵王山の場所
一連の歌
はるけくも峽(はざま)のやまに燃ゆる火のくれなゐと我(あ)が母と悲しき