灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から其の3の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。
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斎藤茂吉の記事案内
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※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
灰のなかに母をひろへり朝日子ののぼるがなかに母をひろへり
現代語での読み:はいのなかに ははをひろえり あさひこの のぼるがなかに ははをひろえり
作者と出典
斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の3 11首目の歌
現代語訳
灰の中から母の骨を拾った 朝日の上る中、母の骨を拾ったのだ
歌の語句
・母を拾えり…「骨」が省略されている。以下に解説
・朝日子…朝日の呼び名。古語。 「こ」は親しみの意を表わす。
句切れと表現技法
- 2句切れ
- 反復
- 省略
解釈と鑑賞
歌集『赤光』の其の3 11首目の歌。
母の亡骸を一晩かけて焼いたあと、朝日の上る中に母の骨を拾ったという場面で、「母を拾えり」に特徴がある歌。
「母を拾えり」に特徴
通常は「母の骨を拾う」が正しい表現だが、作者はあえて「骨を」を省略し、あたかも生身の母に触れるがごとく、「母を」とした。
これは、下に作者自身が解説を買い散る通り、意図的な効果を狙ったものと思われる。
「骨」を省くことで、悲しみの生々しさ、強さを表す。
さらに、「ひろえり」は、漢字の「拾う」を用いずに、ひらがなで記載、音と表記の柔らかさを強調し、作者の口語、肉声のような効果を出している。
また、他の歌にもあるように、この歌も「母をひろえり」を2度反復し、動作を共に悲しみを余すところなく伝えている。
「朝日子」は朝日の古語だが、「子」がさりげなく、歌中の「母」と響き合うことを塚本邦雄が『茂吉秀歌』において、指摘している。
斎藤茂吉自註より
以下は、斎藤茂吉のこの歌の自解、自註です。
これは母の骨(こつ)ひろいの歌である。朝日ののぼる頃に母はすっかり焼けてしまっているのを、まだ火の気の残っているのをかまわずかき分けかき分けして拾うのである。「母を拾えり」という表現は際どいところだが、これも当時しきりに模倣せられたものであった。「母の骨を拾えり」と言わずに直ちに「母を拾えり」といったところが模倣されやすくもあり。模倣せられ数多くなるとつまらなくなる性質のものである。そこで際どいのである。
―――『斎藤茂吉著『作歌四十年』より
一連の歌
さ夜ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
はふり火を守りこよひは更けにけり今夜(こよひ)の天(てん)のいつくしきかも