「蚊帳のなかに放ちし蛍夕さればおのれ光りて飛びそめにけり」斎藤茂吉『赤光』から主要な代表歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。
スポンサーリンク
斎藤茂吉の記事案内
『赤光』一覧は 斎藤茂吉『赤光』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞 にあります。
「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。
斎藤茂吉の生涯については、以下をご覧ください。
斎藤茂吉の作品と斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」
蚊帳のなかに放ちし蛍夕さればおのれ光りて飛びそめにけり
(読み)かやのなかに はなちしほたる ゆうされば おのれひかりて とびそめにけり
【現代語訳】
捕えてきて蚊帳の中に放した蛍が、夕方になってひとりでに光って飛び始めたのだよ
【出典】
『赤光』 3 蛍と蜻蛉(とんぼ) 明治39年作
【歌の語句】
・放ちし……基本形は「放つ」。意味は「はなす」
・「放ちし」は 過去の助動詞 連用形 「し」の基本形は「き」
・蚊帳…蚊などの害虫から人などを守るため、部屋の中に吊り下げて使う大きな網。夏の夜は、現代のように網戸というものがなかったため蚊を避けるため、その中に入って寝た。
長塚節の短歌の用例
垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども
意味:
母が釣ってくれた青い色の蚊帳をすがすがしいと寝た。たるんでいたけれども
・夕されば…連語 夕方になれば、夕方になって
・おのれ…自分、おのずと
・飛び初めにけり…飛ぶ+そむ(初む)の複合動詞。飛び始める
・けり…詠嘆の助動詞 《接続》活用語の連用形に付く。
〔詠嘆〕…だった。…だったのだなあ。…ことよ。
語法(1)詠嘆の「けり」それまで気付かずにいたことに初めて気付いた気持ちを表す用法。その驚きが強いとき、詠嘆の意が生ずる。断定の助動詞「なり」と重ねて、和歌に好んで用いられた。
表現技法
句切れなし
蛍の後には、主格の助動詞「は」「が」「の」に当たるものが省略されている。
鑑賞と解釈
解釈と鑑賞を記します。
習作期の題材「虫」
斎藤茂吉の短歌には、虫を詠んだものが多くある。この一連は「蛍と蜻蛉」の題名であり、蛍の他に、蜻蛉(とんぼ)が並べて詠われている。
また、伊藤左千夫に師事後に、新聞「日本」に課題歌に投稿をしたときの、課題も「虫」であった。
『赤光』はもっとも最初の歌が明治38年、この歌が39年になるので、斎藤茂吉のもっとも初期のもので、茂吉はこの時24歳で、歌作を始めたばかりであり、まず身近に目に入る「虫」を題材に取ったと考えられる。
孤独のモチーフとセットの「虫」
また、茂吉は山形県の農村に生まれたので、幼い頃から虫は馴染みの深いものであった。
さらに、東京では茂吉は養子の候補として、家族とは離れて暮らしていたのであり、養親はいたが、実質的な養子になれるかどうかもまだ定まらず、孤独を感じながら生活していた。
おそらく、そのような家族とも言いがたい人間関係の中で、虫は茂吉にとってもっとも身近な物であり、話し相手のいない茂吉が唯一相対できるものでもあり、時には自分自身の分身のようなものであったのだろう。
明治44年の作品には、「少年の流されびとをいたましとこころに思ふ虫しげき夜に」というのがあり、この「少年の流されびと」というのは、やはり郷里を遠く離れた自分自身のことだろうが、この「流されびと」の孤独のモチーフが、やはり「虫」とセットのイメージになっているのが見て取れる。
後年になってもこのような心境は途切れずに、昭和二十四年刊行の歌集『小園』にも「うつせみのわが息息を見むものは窗にのぼれる蟷螂ひとつ」という歌がある。
一連の他の短歌
蚕の部屋に放ちし蛍あかねさす昼なりしかば首すぢあかし
蚊帳のなかに放ちし蛍夕さればおのれ光りて飛びそめにけり
あかときの草の露玉七いろにかがやきわたり蜻蛉うまれぬ
あかときの草に生れて蜻蛉はも未だ軟らかみ飛びがてぬかも
小田のみち赤羅ひく日はのぼりつつ生れし蜻蛉もかがやきにけり