赤光

氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり 斎藤茂吉

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氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり

斎藤茂吉の歌集『赤光』から主要な代表歌の解説と観賞です。このページは現代語訳付きの方です。

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斎藤茂吉の記事案内

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「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。

※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

 

氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり

読み:こおりきる おとこのくちの たばこのひ あかかりければ みてはしりたり

現代語訳

氷を切っている人足の男の口にくわえた煙草の火が赤かったので、それを見てさらに走ったのであった

出典

『赤光』「悲報来」

歌の語句

・氷きる…氷室から運んで氷を屋外で切っている情景

・をとこの口の…「口にくわえた」の省略

・赤かりければ…已然形+「ば」の順接の確定条件

修辞と表現技法

「火」の後には、「が」「の」の助詞が省略されている




 

解釈と鑑賞

伊藤左千夫逝去の報に、諏訪にいた斎藤茂吉は、同じく下諏訪の島木赤彦宅へ急いだ折の歌。

長野県内で、赤彦の家に向かう途中に、「氷室(ひむろ)より氷(こほり)をいだし居る人はわが走る時ものを云はざりしかも」の通り、氷室の近くを通る。

当たりは既に薄暗かったが、師の突然の訃報に居てもたってもいられず、急いでいるところだが、煙草の日の明かりにふと目が行ったのだろう。

「赤かりければ」のつながりは、茂吉の特殊な因果関係が指摘されているが、あたりが暗く、物も見えなかったし、また、周囲の物に目を配る余裕もなかった。

しかし、薄闇に灯って動いている「煙草の火」には思わず目が行ったということで、火そのものに焦点を当てるのではなく、その背景の方にこそ一連の意味がある。

「悲報来」全体の連作の中で鑑賞したい。

「赤かりければ」について

4句の「赤かりければ」については、特殊な語法として、各氏が解説に上げている。

斎藤茂吉研究の著書がある万葉学者の品田悦一氏は、「赤かりければ」の共通する「死にたまふ母」の一首をあげて、下のように述べている。

「煙草の火が赤かったから見ながら走った」と因果関係の把握が常軌を逸しています。錯乱した意識には世界がそう立ち現れているのです。「うち火さす都の夜に灯はともりあかかりければいそぐなりけり」と同様に、母の死に目に逢いにいく状況が納得できないまま急ぐうちに、こうしているのがまるで街の灯に操られた動作ででもあるかのように---自分の意志と無関係な動作のように感じられた、と読んでおきたいと思います。---『異形の短歌』品田悦一

「赤かりければ」に関する他の評は

氷きるをとこの口のたばこの火「確定条件の力」『近代短歌の範型』より大辻隆弘

『異形の短歌』については
画期的な評伝『斎藤茂吉―あかあかと一本の道とほりたり』品田悦一著

塚本邦雄の評

塚本邦雄は、この歌を高く評価している。

無用に見える第5句が、この斬新な歌を古歌さながらに荘厳した。そして「神無月」と響き合った。一首は初句、3句でかすかに息を継ぎつつ、緩やかに放物線を描いて中空に消える趣がある。

もっとも茂吉らしからぬ歌でありながら、茂吉らしくない音色がこもっていて、私は『赤光』の中でも珍重に値する歌と信じてきた。―「茂吉秀歌」塚本邦雄著より

佐藤佐太郎の評

佐藤佐太郎は、一連の「ひた走るわが道くらししんしんと怺へかねたるわが道くらし」の方を茂吉秀歌にあげているが、その歌の評だと

いても立ってもいられないような、焦燥の気持ちをあらあらしく強く歌っている。こういうひたむきな強烈さは。やはり「赤光」の歌境の特色の一つである。―『茂吉秀歌』より

一連の他の歌

ひた走るわが道暗ししんしんと怺へかねたるわが道くらし

すべなきか蛍(ほたる)をころす手のひらに光つぶれてせんすべはなし

ほのぼのとおのれ光りてながれたる蛍(ほたる)を殺すわが道くらし

氷室(ひむろ)より氷(こほり)をいだし居る人はわが走る時ものを云はざりしかも

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