かへり見る谷の紅葉の明らけく天にひびかふ山がはの鳴り
斎藤茂吉『赤光』から主要な代表歌の解説と観賞を一首ずつ記します。このページは現代語訳付きの方です。
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※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
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かへり見る谷の紅葉の明らけく天にひびかふ山がはの鳴り
(読み)かえりみるたにのもみじのあきらけくあめにひびかうやまがわのなり
【現代語訳】
振り返って見る谷の紅葉は明るく、山の川の流れる音が谷底から空に向かって鳴り響いている。
【出典】
『赤光』塩原行 明治41年作
【歌の語句】
- かへりみる・・・振り返って見る
- 明らけし・・・形容詞 明るいの意味
- 天・・・「てん」と読む場合と、「あめ」の読みとがあるが、ここでは「あめ」と読みがながある。
- ひびかう・・・響く
【表現技法】
倒置法 体言止め
解釈と鑑賞
『赤光』初期の佳作「塩原行」の一首。
それまでの茂吉の空想癖が取れて、写実への地平を開く転機となった連作の中の代表的な一首。
「天にひびかう」が、谷の深さと山の高さの空間の大きさを暗示する。
また、結句は「山がはの鳴り天にひびかふ」と「天にひびかふ山がはの鳴り」とを読み比べて比較したい。
斎藤茂吉の自註
佐藤佐太郎の解説
ふりかえってみると、たにをうずめた木々の紅葉は明るく照り映え、その下から鳴りとよむ川音が聞こえている状態である。明るい紅葉から直接に響いてくるような川音をとらえて、いきいきとした自然の脈動を表現し得ている。
「天にひびかふ」は左千夫的だが、同時に茂吉的でもある。「山がはの鳴り」はとどろく川音を名刺にして、簡潔に安定せしめた結句である。
一連の短歌
おり上(のぼ)り通(とほ)り過(す)がひしうま二つ遥かになりて尾を振るが見ゆ
つぬさはふ岩間(いはま)を垂るるいは水のさむざむとして土わけ行くも
山川(やまがは)のたぎちのどよみ耳底(みみぞこ)にかそけくなりて峰を越えつも
もみぢ照りあかるき中に我が心空しくなりてしまし居りけり
あしびきの山のはざまの西開き遠(とほ)くれないに夕焼くる見ゆ
『赤光』の次の歌
解説記事に移動
隣室に人は死ねどもひたぶるに箒ぐさの実食ひたかりけり/斎藤茂吉『赤光』
斎藤茂吉とは
斎藤茂吉 さいとうもきち
1882-1953 山形県生まれの大正-昭和時代の歌人、医師。息子は、長男が精神科医斎藤茂太、次男が作家の北杜夫。養子に入る前の姓は守谷。
参照: 斎藤茂吉の家系図と家族 両親と養父母、子孫について
斎藤茂吉の息子たち 作家の北杜夫と精神科医斎藤茂太
山形県出身。東京帝大卒。
伊藤左千夫に師事し、「アララギ」同人となる。処女歌集『赤光』で一躍歌人として有名になった近代日本を代表する歌人の一人。
「実相観入」の写生説をとなえた。歌集に「あらたま」「白桃」「白き山」などがある。
26年文化勲章受賞。昭和28年2月25日70歳で死去。一般向け著作は「万葉秀歌」がベストセラーで有名。