覚悟していでたつ兵も朝なゆふなにひとつ写象を持つにはあらず
斎藤茂吉『石泉』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。この歌は、昭和8年満州事変の報を受けて、そののちの作者の感慨を詠んだ作品です。
このページは現代語訳付きの方で、語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。
斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」 をご覧ください。
スポンサーリンク
覚悟していでたつ兵も朝なゆふなにひとつ写象を持つにはあらず
読み:かくごして いでたつへいも あさなゆふなに ひとつしゃしょうを もつにはあらず
歌の意味と現代語訳
覚悟して戦地に向かう兵士たちも、朝夕にいつも戦いの事だけを考えているのではないだろう
歌集 出典
斎藤茂吉『石泉』 昭和8年
歌の語句
・いでたつ…出で立つ 「出立する」の意味
・朝なゆふなに…朝となく夕となく、いつも。常に
・ひとつ写象…「ひとつの映像」の意味
・あらず…「あり+ず(打消しの助動詞)」
修辞・表現技法
句切れなし
「朝な夕な」は成句
鑑賞と解釈
昭和8年作。
この年の9月18日に満州事件が勃発。斎藤茂吉自身の自註で「満州事変が起こり、上海戦に移行した」と記されている。
ただならむ寒き国土(くにつち)にたちゆくとこぞるみちのくの兵をおくらむ
初冬の頃に、「第八師団混成旅団出発す」という詞書のある上の歌があり、同じ頃の作とされる。
一首の意味
一首の中に、兵士たちへの内心を思いやる心がしみじみと示される。
戦場に行く兵士は、覚悟を決めているのには違いないが、戦いの事だけを脳裏に浮かべているわけではない。
故郷や家族、親しい人などへの、それ以上に強い思いもあるだろうとして、戦いの間の、一個人としての兵士の胸のうちに思いをはせる内容となっている。
これらのことを、満州事変という政局において詠まれたものが他にもある。
この歌の「写象」については、ドイツ語の「表象」のことだと作者斎藤茂吉自身の解説がある。
元は哲学用語で、心理学にも使われる言葉だが、脳裏に浮かべる映像のいささか固定したものと理解すればいいと思う。(以下参照)
一首の声調
「覚悟していでたつ兵も」の上句は、カ行とタ行の音が勝るが、3句で一転して、「あさなゆうな」の柔らかい音調が挟まれる。
そして、その音の表すような兵士の浮かべる「固いイメージ」が、兵士の中にあるのだろう、何かしらの「和らいだイメージ」に変わる感がある。
「写象」の内容は、具体的ではないが、そのように暗に示しているにとどまるのは、当時の情勢で「家族のことを考えた」というわけにもいかなかったからであろう。
しかし、兵士を思いやる気持ちは十分に伝わるものとなっている。
斎藤茂吉自註『作家四十年』より
今年に満州事変が起こり、上海戦に移行した。既に覚悟が極まって出征する兵といえども、いつもただ一つの写象を持つとは限らぬだろう、ここにいう写象は、独逸語のぼるシュテルングの訳で、表象ともいっている。つまり、その兵は行住坐臥、例えば、湊川合戦のような場面の写象のみを持っているのではあるまいという、作者の感慨なのであった。
(『作歌四十年 自選自解 斎藤茂吉』)
佐藤佐太郎の解説
戦場におもむくのだから、兵士は死を覚悟している、しかし戦いの暇には故郷を思い、妻子を思い、親しい人を思うこともあるだろうというのである。出征する兵士に寄せる人間的道場だが、その漂泊が通俗におちいらず、言葉に厚みのあるのは、表現の力である。
三句、「朝なゆふな」というように、ゆるやかな言葉を中にはさんで、終りを否定的に強く結んでいる歌調にありありと感情が流れている。
「石泉」の一連の歌
狂者らをしばし忘れてわああゆむ街には冬の靄おりにけり
春さむく痰喘(たんぜん)を病みをりしかど草に霜ふり冬ふけむとす
覚悟していでたつ兵も朝なゆふなにひとつ写象を持つにはあらず
蛇を売る家居のまへにしばらくは立ちをりにけりひそむ蛇見て
わが病全けく癒えてこもるとき命過ぎにし兄を悲しむ