斎藤茂吉の短歌は西洋絵画に影響をうけたもの、または意識的に摂取を行ったものが多くあることが指摘されています。
そのうち、もっとも重要なゴッホの絵画との関わりを記します。
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斎藤茂吉と絵画
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斎藤茂吉は、子どもの頃に絵の手ほどきを受け、絵描きになろうかと思ったというくらい絵がうまかったことでも知られています。
長じて短歌を始めてからも、西洋絵画に影響をうけたもの、または意識的に摂取を行ったものが多くあることが指摘されています。
「写生」論の形成
斎藤茂吉は、アララギ派の短歌のコンセプトである「写生」についても多く論じていますが、「写生」は元々絵画で用いられる用語です。
絵画と短歌の両方に通じていたことから、「写生」は短歌の制作に生かされたばかりではなく、歌論としても形成され、斎藤茂吉の短歌を語る上では、絵画からの摂取が欠かせないことがわかります。
ゴッホのスケッチと斎藤茂吉のメモ
斎藤茂吉は、欧州へ留学する前は、画集や専門書などで、名画の解説を読み、さらに留学中は、美術館や画家ゆかりの地を訪ねて、多くの絵画に接しました。
その際に、手帳に感銘を受けた絵画の詳細なメモを残しましたが。ゴッホに関するメモやスケッチで一番多いものは、ゴッホに関するものです。
文章のメモのみではなくて、自分の見た通りに、絵そのもののスケッチをするのが斎藤茂吉のやり方でした。
その際に、スケッチをしたのは、「向日葵」「赤いひなげしの畑」「オーヴェール付近の平野」「鳥の飛ぶ麦畑」と伝わっています。
「オーヴェール付近の平野」
「オーヴェール付近の平野」、絵に描かれたこの場所は、ゴッホの死因となった拳銃自殺を図った場所とも言われています。
斎藤茂吉は、この絵をペンで筆写し、その上にさらにメモを記しています。
スケッチをした風景画の樹木に対して
この木は家を厚く塗った上に強く描いたものである。それが下にある白黄の絵の具とまじわって、一種のおもしろき形を成している (原文カナ混じり)
などの記載がスケッチの余白に書き込まれました。
上の絵でいう一番左端にある3本の木の部分ですが、絵と合わせてみると、大変細かい観察であることがわかるでしょう。
「鳥の飛ぶ麦畑」のメモ
また「鳥の飛ぶ麦畑」では中央を貫く農道の一部を「紺緑」と指摘の上、
遠くで見ると、このところがくぼんで見えて、麦畑の細かい凹凸の陰影、麦の動いているところが思い起こされる
など備忘のための説明が加えられています。
ゴッホの向日葵の絵
向日葵の絵については、絵の向日葵と花瓶の配置そのままに茂吉自身がスケッチし、それらの12輪のひまわりの一つ一つに番号が打たれました。
そして、その一輪ずつの描画の特色について詳細なメモを記しています。
たとえば、番号1と記された向日葵については
心(しん)は青緑のや、濃い絵具で無造作に強く3、4度縫って、その周りは黄(クロム)で、ぐるりと回しているそれから青い心との境に、黄の絵具でぽつぽつと20度くらい描いてある。
この絵のメモだけで、2300文字以上が費やされているというのですから驚きです。
「写生」と実相観入
これらのメモの意味は、言ってみれば絵を文字で写したというものになりますが、それが、景色や情景を見て、短歌に叙述する写生とほぼ同じ手法であることが分かります。
ゴッホは画家のか中でも特に、想像ではなく、目で見るものがなければ描けなかったと言われる画家でした。
すなわち、ゴッホの絵、それ自体が写生と言えます。しかし、ゴッホの絵は外的な事物だけを写真のように写し取ったにはとどまらず、自分の心の中の世界を表現しようとするものでした。
斎藤茂吉がそこから読み取ったものは、単なる、景色や事物の形象の把握にはとどまらず、ゴッホの内面的なもの、狂気の画家の孤独感や不安、衝動などの、生の感情でもあります。
斎藤茂吉にとって、写生は「いのちのあらはれ」であるという所以がここにあります。
斎藤茂吉がゴッホに摂取した短歌
ゴッホの絵と関連の深いと思われる短歌を以下にまとめておきます。
ゴッホの絵の特殊な光の形象
あかあかと日輪天てんにまはりしが猫やなぎこそひかりそめぬれ
くれなゐの獅子のあたまは天あめなるや廻転光くわいてんくわうにぬれゐたりけり― 初版『赤光』
かぜむかふ欅太樹の日てり葉の青きうづだちしまし見て居り―「あらたま」
上の二首は、影響があからさまでもあり、改定版の際に『赤光』から削除。
ゴッホの「糸杉」や「星月夜」の光の形状をほうふつとさせる歌です。
オーヴェールの教会
有名な「オーヴェルの教会」の絵に関しては
空の藍つよさきはまりて描かれし寺院を見つ動悸しながら
とその時の感慨を伝えています。
色の意識のある短歌
最後の歌のある連作「12 暗緑林」には、上の「鳥のいる麦畑」の絵の風景とも関連が見出せそうです。
さやぎつつ鴉のむれのかくろへる暗緑の森をわれは見て立つ
うれひつつひとり来りし野のはての暗緑林に近づく群鳥(むらどり)
かぜむかふ欅太樹の日てり葉の青きうづだちしまし見て居り
真日あかく傾きにけり一つ樹のもとに佇ずむ徒歩兵ひとり
さらに、これらの一連の歌の「暗緑」「青き」「あかく」など、色の豊富さは、絵に関心を持つ人ならではの描写と言えます。
ゴッホの人物画
「あらたま」で、茂吉の短歌を愛好した芥川龍之介が、「女の手の甲の静脈を愛し…」といった歌が下の物です。
うらさびしき女(をみな)にあひて手の甲の静脈まもる朝のひととき
これについては、ピエール・ロチの小説「お菊さん」を詠んで、ゴッホが日本の女性の肖像画を描いたものに、女性の手が細く美しく描かれているものを思い出します。
『赤光』の「南蛮男」、外国人と日本人女性の組み合わせも、このあたりに発想の源があるかもしれません。
土の凹凸の陰影
「あらたま」の一本道は、上の芥川がゴッホの連想を行ったことで知られていますが、その中の
こころむなしくここに来れりあはれあはれ土の窪(くぼみ)にくまなき光
は、上の「鳥の飛ぶ麦畑」での茂吉の把握、
遠くで見ると、このところがくぼんで見えて、麦畑の細かい凹凸の陰影、麦の動いているところが思い起こされる
この部分ともつながりがあり、このような観察は、絵で見たものの二次的な摂取が推測できます。
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
かがやけるひとすぢの道遥けくてかうかうと風は吹きゆきにけり
芥川がゴッホとの関連を指摘した一連は、ゴッホの 「夕暮れのポプラ並木」が思い浮かびます。
ゴッホには、画面後方に太陽を大きく描いた絵が他にもあります。
他にもヒントとなりそうなもの
大戸よりいろ一様の著物きてものぐるひの群外光にいづ
ゴッホの囚人の絵。
向日葵は諸伏しゐたりひた吹きに疾風ふき過ぎし方にむかひて
「鴉の群れ飛ぶ麦畑」の麦。
あかあかと南瓜ころがりゐたりけりむかうの道を農夫はかへる
あかあかと土に埋まる大日(だいにち)のなかにひと見ゆ鍬をかつぎて
真日おつる陸稲ばたけの向うにもひとりさびしく農夫かがめり
ゴッホの絵の中には、よく見ないと見えないような遠景に小さく人が見える画があります。
オランダのゴッホの家
留学中に、オランダのゴッホの家を訪ねた折の短歌。
ヴァン・ゴオホつひの命ををはりたる狭き家に来て昼の肉食(を)す
雨のふる岡のうへには同砲(はらから)の二つの墓がならびて悲し
医師ガツセの肖像も見つフランクフルトのものとこの二つとあはれ
脳病みてここに起臥せしし境界の彼をおもへば悲しむわれは
斎藤茂吉は、精神科医でしたので、「脳病み」のゴッホを悲しむ気持ちは深く、そして彼の絵に見るものに深く共感をしました。
絵が好きで自分も描いていた茂吉は、ゴッホの絵を文字通りに写生し、またそれを言語化する形で、自らの短歌と通い合い、絵画と歌とが共鳴するという不思議な短歌世界を作り出していたのです。