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はるばると薬をもちて来しわれを目守りたまへりわれは子なれば 斎藤茂吉

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はるばると薬をもちて来しわれを目守りたまへりわれは子なれば 斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から主要な代表歌の現代語訳付き解説と観賞を記します。結句の「われは子なれば」の意味を考えます。

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斎藤茂吉の記事案内

『赤光』一覧は 斎藤茂吉『赤光』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞 にあります。

「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。

※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

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はるばると薬をもちて来しわれを目守りたまへりわれは子なれば

読み:はるばると  くすりをもちて こしわれを まもりたまへり われはこなれば

現代語訳

はるばると薬を持ってやって来た私をじっと見てくださる母よ。私は子であるからに

出典

『赤光』「死にたまふ母」 其の2

歌の語句

歌の文法と語句の解説です

「もちて来し」の品詞分解

  • もちて来し…「持ってきた」の意味
    動詞「持つ」連用形+接続助詞「て」+基本形「来(く)」+「き」過去の助動詞の連用形「し」

「目守りたまへり」の品詞分解

  • 目守り…基本形「目守る」。読みは「まもる」
    意味は 「じっと見る」「見守る」「見つめる」
  • たまへり…「たまふ」+完了の助動詞「り」

句切れと表現技法

  • 4句切れ
  • 倒置




解釈と鑑賞

歌集『赤光』の中の一首。母が死に至る「其の2」の冒頭の歌2首の1首目。

母が危篤であるとの知らせに、夜に出発した作者がようやく実家に到着、部屋に入った作者・斎藤茂吉に、横たわったままの母がまなざしを向ける場面。

 

斎藤茂吉の母の状態

母は昔でいう中風、今の脳溢血に2度目に見舞われ、既に意識がもうろうとしていた。

ろれつも回らず、言葉もおぼつかない状態であったと、品田悦一、塚本邦雄両氏に解説で述べられている。

そのため「目守る」という、母のまなざしだけが、この時の母の唯一のコミュニケーションであった。

「薬をもちて」の意味

作者斎藤茂吉は、東京に養子に出て精神科医となっている。そのため、考えられる薬を自ら持参したのではないかと思われる。

ただし、それらの薬は重篤な状態の母にとっては、効き目とてなく、あくまでお守り代わりのようなものであった。

斎藤茂吉の兄弟や親戚にしてみれば、茂吉は医師として、その到着は安心を招いたと思われ、薬の投与はそれらの身内に対してのアピールでもあったろう。

加えて、作者本人にとっても、母を実際に見るまでのわずかな望みをつなぐよすがであったにも違いない。

「われは子なれば」の解釈

「われは子なれば」は、塚本邦雄は両親に分かれて養子に出たという背景を、結句の解釈に提示してる。

他にも、この歌について、品田悦一は、歌の中に「母」の主語がない点を指摘している

医師と子 2つのアイデンティティー

「子なれば」の理は養子に出た背景においてもうなづけるものがある。

「薬を持ちて」において、医師としての意識が働いているとすれば、「子なれば」には、「子」としてのアイデンティティーの乖離も意識されていたことになろう。

おそらく、到着した茂吉は、母の脈をとるなど、まず「診察」をも試みたと思われる。

一連の二首目「寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまうわれは子なれば」の「寄り添える」も、医師としての看取りでもあるだろう。

言ってみれば、上句「薬をもちて」も「寄り添える」も、あくまで医師としての行いではなかったか。

また、歌には描かれていない母の周りの他の人々も、茂吉に診療行為を期待し、彼に状態や余命を問いかけ、茂吉はそれに答えたに違いない。

それに対して、二首とも結句に倒置で「われは子なれば」が念押しされている感がある。他の人にとってはそうではないが、母から見れば、医師ではなく紛れもなく茂吉は息子なのであった。

副詞節の述語は母

そのような自分を母はじっと見つめている。それは、息子が医師のため、治癒を期待してのことではなく、母がそうするのは、長く離れていた息子というより他の理由はないだろう。

「われは子なれば」は、文法上は母の述語である「目守りたまへり」と「言ひたまふ」にかかる。

周囲の人の期待は、このような場面においても、作者茂吉を医師としてあらしめる。また作者自身もそのようにふるまう面はもちろんある。

しかし、母にしてみれば、私が医師ではなく、「子であるから」、その子を見つめ、その子に話しかけようとするのに他ならないのだ。

あえて言えば、この歌に「母」の主語がないのは、母の描写以上に、周囲の人と母それぞれに対する反応としての茂吉のアイデンティティーの意識に主眼があるためとは言えないか。

死期の迫った病気の母に、茂吉は医師としての診療をするよりも、なによりも子どもでありたかった。

作者の職業的な平静を揺るがしたのは、母のまなざしであり、呂律の不確かな懸命な母の謂いであった。

そしてそれは母の枕頭においての心境のみならず、歌として詠むときの、抗いがたい想念でもあったのだ。

記憶をたどるときにも、「母が呂律の回らない言葉で何かを言おうとした」、「母は自分がわかる様子でこちらを注視した」のような、客体的な描写にとどまらず、「われは子なれば」を入れずにはおれなかった作者の心を推し量りたい。

そもそも、「子なれば」は言わずもがなの奇妙な表現なのには違いない。

一連の歌

はるばると薬(くすり)をもちて来(こ)しわれを目守(まも)りたまへりわれは子なれば

寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば

長押(なげし)なる丹(に)ぬりの槍に塵は見ゆ母の邊(べ)の我が朝目(あさめ)には見ゆ

山いづる太陽光(たいやうくわう)を拝みたりをだまきの花咲きつづきたり

死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞ゆる

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-死にたまふ母

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