はざまより空にひびかふ日すがらにわれは寂しゑ鳴沢のおと
斎藤茂吉『ともしび』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方で、語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。
斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」 をご覧ください。
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はざまより空にひびかふ日すがらにわれは寂しゑ鳴沢のおと
読み:はざまより そらにひびかう ひすがらに われはさびしえ なるさわのおと
歌の意味と現代語訳
山の狭間の谷の深くから空にひびく滝の音、それが、一日中続いているのを聞くと、私は寂しいのである
歌集 出典
斎藤茂吉『ともしび』 昭和2年作
歌の語句
・はざま…山と山の間 谷
・ひびかふ…「響く」を延べた言い方 歌の調子、字数を合わせるためもある
・日すがら…朝から晩まで 一日中
・ゑ…読みは「え」 感動詞で意味はない
例:
こもり波あをきがうへにうたかたの消えがてにして行くはさびしゑ
・鳴沢…響きをあげている滝 激流
修辞・表現技法
・「ひびかふ」の主語は「鳴沢」で、「われは寂しゑ(え)」は挿句 以下に解説
・体言止め
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斎藤茂吉『ともしび』短歌代表作品 解説ページ一覧
解説と鑑賞
昭和2年作。「信濃行」の中の一首。
斎藤茂吉が秋に信濃に講演に行った時の作で、10月19日の日記には
それから菅沼君と道を歩いて行くと深い谷が見えるし、鳴る滝の音がきこえる
とあることを、佐藤佐太郎が指摘している。
山の谷に響く谷川の音を詠んだ歌だが、斎藤茂吉は、高いところから底を見下ろして、その音の聞こえる方向を「はざまより」と表現したらしい。
その激しい滝の音が絶えることなく一日中鳴り響いている。
隠れた見えない距離のある所から、滝の音が空に向かって、何事かを訴えるかのように、己の存在を訴えるかのように音を立て続けていることに、作者は寂しさを誘われたのであったろう。
鳴り続ける滝の音に、絶対的な孤独を垣間見たと言ってもいい。
「白桃」にある「たえまなく激ちのこゆる石ありて生なきものをわれはかなしむ」にもあるように、命のないものを、命のあるものであるかのようにとらえるのとも共通している。
また、そのようにとらえる姿勢は、単なる擬人化ではなく、作者の心の深いところにある「寂しさ」が、その滝と音のありように、強く投影されているためである。
情景描写にとどまらない作者のものの見方とそれが元になる歌の作り方をよく味わいたい。
一首の構成
一首の構成は下に佐藤佐太郎が述べる通り、「空にひびかふ鳴沢のおと」とつながるのが本筋であるが、「日すがらにわれは寂しゑ」が、その間に挿句として挟まれているところに大きな特徴がある。
「鳴沢のおと」が、さびしいのではなく、さびしいという感情を持つのは作者であるのだが、このような順序で「さびしい」を先に出したことで、その後に続く「鳴沢のおと」が「さびしい」に続くことで、沢がさびしがっている錯覚を読み手に起こさせる。
このような作歌の技術、テクニックがあってはじめて、沢と作者が分かちがたく一つの寂しさを訴える音となるかのようである。
結句の一つの「おと」にそれらが集約されている。
斎藤茂吉自註『作家四十年』には前後の歌はあるが、この歌については述べられていない。
この歌を含む4首の順番は下のようになる。
湯のいづるはざまの家にふりさけし五つの山は皆はれにけり
ひたひより汗はにじみてしばしだに山を歩むはたのしかりけれ
はざまより空にひびかふ日すがらにわれは寂しゑ鳴沢のおと
昼しぐれの音も寂しきことありて日ましに山は赤くなるべし
佐藤佐太郎の解説
「鳴沢」はひびきをあげている滝あるいは激流で、「万葉集」に用例がある。日記を書く時(上部を参照)、とっさに「鳴る滝」といったから、その応用で万葉の言葉を採ることができたのだろう。
「はざまより空にひびかふ」から「鳴沢のおと」につづくのが順序だが、歌は散文と違うからこういう表現もあり得る。2句と5句との間に「日すがらにわれは寂しゑ」という句があるのは、いわば感情の渦である。山間の深いところに、人の聞く聞かぬに関係なく、ひたすら魔弾鳴く轟く水音に作者の感動があっただろう。なぜ「空にひびかふ」といい「日すがらに」といったか、その必然性がわかる。
一連の歌
湯のいづるはざまの家にふりさけし五つの山は皆はれにけり
ひたひより汗はにじみてしばしだに山を歩むはたのしかりけれ
はざまより空にひびかふ日すがらにわれは寂しゑ鳴沢のおと
昼しぐれの音も寂しきことありて日ましに山は赤くなるべし
山がひの空つたふ日よある時は杉の根方まで光さしきぬ
とどろける谿のみなかみにあはれなる砂川みむと常におもはず
湯田中の川原に立てば北側ははつかに白し妙高の山
石原の湧きいでし湯に鯉飼へり小さき鯉はここに育たむ