向日葵は諸伏しゐたりひた吹きに疾風ふき過ぎし方にむかひて
斎藤茂吉『あらたま』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
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斎藤茂吉の短歌研究ご案内
『あらたま』全作品の筆写は 斎藤茂吉『あらたま』短歌全作品 にあります。
斎藤茂吉については
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向日葵は諸伏しゐたりひた吹きに疾風ふき過ぎし方にむかひて
読み ひまわりは もろふしいたり ひたふきに はやちふきすぎし かたにむかいて
作者と出典
斎藤茂吉 『あらたま』 百日紅
歌の意味と現代語訳
向日葵は皆倒れてしまっている。嵐の風が吹き過ぎた一方向にむかって
歌の語句
- 諸伏ゐたり…「諸」は 辞書の定義で「多く名詞の上に付いて用いられ、いくつかある同種のもの、すべて、の意を表わす」
「ゐたり」…「居る+たり(存続の助動詞)」 - ひた吹きに…「ひた」は名詞に付く接頭語 ここでは「一方向に」の意味
- 疾風…読みは「はやて」
表現技法
- 2句切れ
- 倒置
解説と鑑賞
嵐が終わってみると、その風の吹いた方向に、ひれ伏すように向日葵が皆倒れてしまっている。
その様子に心を動かされて作者が詠んだ歌。
主題は、自然の力の強さに抗いがたいものを感じたところにある。
そして、まるで向日葵が、その自然の力にひれ伏しているかのように見える。
風と向日葵の関係を感じて、向日葵をやや擬人化している。
この歌の含まれる「百日紅」の一連は、嵐のなかの百日紅や、他に「われ起きてあはれといひぬとどろける疾風のなかに蝉は鳴かざり」というのもある。
作者が病臥中の時の歌
また、この時は、一連に「疾風来と竹のはやしの鳴る音の近くにきこゆ臥(こや)りつつをれば」があり、作者は熱が出て病臥中であった。
熱に倒れて起き上がれなくなっている自身の状態と、風に諸伏している向日葵を重ねた心境がうかがわれる。
似たモチーフの短歌
『あらたま』にはこの歌に先行して
橡(とち)の太樹(ふとき)をいま吹きとほる五月(さつき)かぜ嫩葉(わかば)たふとく諸向(もろむ)きにけり
がある。
風にあおられた木の枝葉がだ、「たふとく」の形容詞がついており、風に翻弄される動植物の姿に、謙虚で敬虔な心持を誘われたことがうかがわれる。
それは『あらたま』ほぼ全般に通じる主題でもある。
斎藤茂吉の自註
強風が一過すると、その吹き去った方角に向かって、向日葵が全部倒れているのを感に入ったのであった。この歌も無論さうであるが、この前の歌も、自然の力の兄弟にして不可抗な場合の多い事、刻々の現象は、その兄弟なる自然力のまにまにさからうことなく、その生を保ちつつあることに深く感じ入っていることが分かる―出典『茂吉秀歌』塚本邦雄著
一連の歌
8 百日紅
われ起きてあはれといひぬとどろける疾風(はやち)のなかに蝉は鳴かざり
家鴨らに食み残されしダアリアは暴風(あらし)の中に伏しにけるかも
疾風来(はやちく)と竹のはやしのの鳴る音の近くにきこる臥(こや)りつつおれば
はつはつに咲きふふみつつあしびきの暴風にゆるる百日紅の花
油蝉いま鳴きにけり大かぜのなごりの著るき百日紅のはな
向日葵は諸伏しゐたりひた吹きに疾風ふき過ぎし方にむかひて
熱いでて臥しつつ思ふかかる日に言よせ妻は何をいふらむ
嵐やや和(な)ぎ行きにけり床のへに群ぎもさやぎ熱いでて居り