ほのかなる茗荷の花を目守る時わが思ふ子ははるかなるかも
斎藤茂吉『赤光』から主要な代表歌の解説と観賞です。
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ほのかなる茗荷の花を目守る時わが思ふ子ははるかなるかも
読み:ほのかなる みょうがのはなを まもるとき わがおもうこは はるかなるかも
現代語訳
ほのかな茗荷の花を見守っているこの時も、私の思う子ははるか遠くにいるのだなあ
作者と出典
斎藤茂吉 『赤光』大正元年 7折々の歌
歌の語句
・目守る 目は「ま」 全体で「まもる」と読む。 見守る、じっとみるの意味。
・はるかなるかも・・・はるかなりの形容動詞+詠嘆の助動詞かも
表現技法
時の副詞節で、同一視した茗荷の花と子をつなぐ。
結句を「はるかなるかも」と遠くに置き、一語の詠嘆で息長く終える。
「ほのか」「はな」「はるか」の連続にも注意。
解釈と鑑賞
一連中「猫の舌の」に続くこちらも繊細だが、ほのぼのとする歌。
茗荷の花から少女への連想がいい。
作者は「特定の少女がいたというわけではなかったが」「故郷田園の少女」と言っている。
長塚節の評
ほのかな花をしみじみ見守る心が、しみじみ少女を思う心に通うことを言った(「赤光書き入れ」)
佐藤佐太郎の評
茗荷の子の先端から、すり硝子のような半透明の花が開く、この作者以前誰も注意しなかった花である。それを「ほのかなる茗荷の花」と言ったのも的確で感情をたたえている。一種はさわやかで香気があり、不思議なほどすっきりと洗練されている。
また、「なる」が二つもあり、あいだにも「目守る」「はるか」と「る」が入っているが、全体として軽くも騒がしくもなく、かえって快い階調をなしている。(「茂吉秀歌」佐藤佐太郎)