ふりさけて峠を見ればうつせみは低きに拠りて山を越えにき 斎藤茂吉の歌集『たかはら』にある短歌、峠の様子から人々の暮らしぶりをとらえた歌の鑑賞と解説を記します。
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歌人斎藤茂吉については
斎藤茂吉 三時代を生きた「歌聖」
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ふりさけて峠を見ればうつせみは低きに拠りて山を越えにき
読み:
ふりさけて とうげをみれば うつせみは ひくきによりて やまをこえにき
作者と出典
斎藤茂吉 歌集『たかはら』
語句と表現技法
語句と表現技法の解説です。
ふりさけて峠を見れば
「ふりさけて」…ふり仰いで、はるか遠くを見ること
柿本人麻呂の歌の「ふりさけて三日月見れば一目見し人の眉引き 思ほゆるかも」がよく知られている。
峠は山の高いところ、その見える道の部分
うつせみは
「うつせみ」生きている人のこと
低きに拠りて
低きは、「低い」の名詞形。
「拠りて」は、「手段とする」の他「頼る。依存する」などの意味がある。
ここでは、低い場所を通ることを指す
越えにき
「き」は回想の助動詞
道筋のありようから、昔の人の行動を類推している
解説と鑑賞
昭和5年に、高野山で開かれたアララギ安居会に参加した時の歌。「紀見峠遠望」との註がある。
遠く眼をやると山の峠が見える。そこに通っている道のありようから、昔から人々が山越えができるだけ苦労が少なく済むように、平坦な低いところに道を作ろうと知恵を使って苦心しているということに気が付いたという、その感慨に歌の主題がある。
景色を単に眺めるだけではなく、そこから読みとった人のありようと、「うつせみ」の通り、生活する人としてのささやかで切実な工夫を長い歴史を含めて思いを馳せている。
佐藤佐太郎の短歌評
道が最も便利なところを通っているのは当然だが、現前の風景の中から切実な感動としてそれを受け取っている。
「ふりさけて」は遠く眼を放つこと、「うつせみ」はこの場合は人間一般である。
「うつせみは」という「は」一音が付いて詠嘆がこもっている。「低きに拠りて山を越えにき」という四五句も、観相そのままであるが、観相そのものが切実であるばかりでなく、言葉の響きがまた切実である。
塚本邦雄の短歌評
おのづからなる省略法への嗟嘆、煎じ詰めれば人間のささやかな知恵への声低い称賛であり、それならそれで、もっと歌い方もあったろうにとの望濁の感もつきまとう。
少なくとも「うつせみは」に「人間は」の響きをこめなくてはなるまい。道は、もともと人の弁を十分に計ってつけられているのだし、この時、全人未踏の地に初めて道を拓いて通ったわけではないのだ
「たかはら」の一連の短歌
ふりさけて峠を見ればうつせみは低きに拠りて山を越えにき
ひとときに雨すぎしかば赭くなりて高野の山に水おちたぎつ
紀の川の流かくろふころほひに槙立つ山に雲ぞうごける
高野山あかつきがたの鉾杉に狭霧は立ちぬ秋といはぬに
秋づきしあまつ光か目のもとの苔を照らしてかげりゆくらし
おく谿はここにもありてあかあかと高野の山に月照りにけり
白雲のおしてうごける鉾杉の木の下闇にしづくは落ちつ
空海の四十二歳の像こそ見欲しかりけれ年ふりにけり
紀伊のくに高野の山をとりよろふ群山のうへにゐる雲もなし
ここに啼く鳥こぞふれば幾つ居む山の中こそあはれなりけれ
紀伊のくに高野の山の月あかししづむ光を見つつ寝にける
われひとり歩み来りておもほえずこの山谷に鳥さはに啼く