上ノ山の町朝くれば銃に打たれし白き兎はつるされてあり
斎藤茂吉『白桃』から主要な代表作の短歌の解説と鑑賞を記します。
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※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
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上ノ山の町朝くれば銃に打たれし白き兎はつるされてあり
読み:かみのやまの まちあさくれば つつにうたれし しろきうさぎは つるされてあり
作者と出典
斎藤茂吉 歌集「つゆじも」
現代語訳
上山の朝市を通りかかると、銃で撃たれた兎が痛々しくもつるされている
歌の語句
- 上山・・・山形県の地名
- 銃・・・「つつ」と読ませている
- 「あり」・・・ラ変動詞
「(人・動物などが)いる。(無生物・物事が)ある。」の意味
表現技法
- 句切れなし
- 「くれば」の「ば」は順接確定 「朝来たので」の意味
- 3句 6文字の字余り
解説
斎藤茂吉の「白桃」より上山滞在吟の一首。
山形県上山(かみのやま)は斎藤茂吉の故郷で、久々の帰省で兄弟たちと会った。
この歌は朝の町を散策、市場で読んだもので他にも
上ノ山の町に売りいる山鳥もわが見るゆえに寂しからむか
というのがある。
この頃、茂吉は夫人のいわゆる「ダンスホール事件」で傷心の日々を送っていた。
そのため、朝市でつるされている兎は、打ちのめされた自己の姿と重なって感じられたのだろう。
結句の「…てあり」は、ただ、そこに兎が吊るされていたという事実を述べるものだが、この即物的な表現に作者の傷ついた心の投影を見ることができる。
斎藤茂吉自身の解説
斎藤茂吉自身はこの歌の出来栄えに満足していたと見え次のように記している。
冬の町にはいずこでも、雉子だの兎だのは売られているものであるが、現在上ノ山に来て、吊るされている兎を見ると身に応えるのである。それを主観的に詠嘆することをこらえて「銃に打たれし白き兎は吊るされてあり」と客観的に言ったところに此の歌の特徴がある。率直に言えばこの歌は比較的出来のよいものではなかろうか。―出典:斎藤茂吉『作家四十年』
一連の短歌
人いとふ心となりて雪の峡(かひ)流れて出づる水をむすびつ
みちのくの山を蔽ひて降りみだる雪に遊ばむと来しわれならず
上ノ山の町朝くれば銃に打たれし白き兎はつるされてあり
いとけなかりし吾を思へばこの世なるものとしもなし雪は降りつつ
弟と相むかひゐてものを言ふ互みのこゑは父母のこゑ