「最上川逆白波の立つまでにふぶくゆふべとなりにけるかも」斎藤茂吉『白き山』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。
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最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片
読み:もがみがわの じょうくうにして のこれるは いまだうつくしき にじのだんぺん
歌の意味
最上川の上の空に残っているのは、まだ色褪せずに美しい虹の断片だ
歌集 出典
『白き山』-虹より
歌の語句
・最上川……山形県は茂吉の故郷であり、ふるさとの川となる
・残れるは……残っているのは
・いまだ……まだ
表現技法と文法
・残れるは 「残る」の已然形+存続の助動詞「り」の連体形+係助詞「は」
・初句が6文字、4句が8文字の字余り
・句切れなし 最後の虹まで一つに続く
・体言止め 「だんぺん」の漢語の音の強さにも注意する
・体言止めに至る語順と構成は下に説明
鑑賞と解釈
昭和21年から22年の山形県大石田の疎開中に詠まれた歌、「虹」17首の中の一首。
「虹」を加えることで、最上川の歌としても印象的な一首となっている。
最上川の上にかかった虹を詠んだものだが、完全な形の虹ではなく、「いまだうつくしき」で作者が見たときは、切れ切れの「断片」となっていたことがわかる。
虹の美しいの言わずもがなだが、この歌においては「いまだ」として、「うつくしき」と言い切ることに成功している。
「上空に」ではなく「上空にして」も虹の移ろいやすさと、偶発性が感じられる。
さらに「いまだうつくしき」の8文字の字余りに、作者の感慨が込められている。それはあたかも、けなげにも残っている虹の、消えそうで消えない懸命さのようなものを伝えるものがある。
「虹」が結句に来る体言止め語順
またこの歌の構成についても工夫があり、「最上川の空に虹の断片がかかっている」という順当なものではなく、最後まで読み進めて「虹」が最後に現れるような語順になっている。
「いまだ」と虹の現れた時からの時間的な幅に加えて、最上川の上に視線の移動によって、徐々に姿を現すような、空間の幅を持たせているのも、体言止めに至る語順の効果である。
また、「じょうくうにして のこれるは いまだうつくしき」の、切れ切れの虹の流麗さを表すようなやや間延びした調子を、最後の「だんぺん」の鋭く力強い音で、きっぱりと終えて、印象を強く残す終わり方となっている。
佐藤佐太郎の評と解説
虹は美しい天然現象だから、この作者にもいくつか虹の歌がある。これは「最上川の上空」に見えるといって、胸のすくような晴れ晴れとした情景。しばらく残っている、「虹の断片」は、断片であることによって美しさが際立っている。
出来上がった歌を見るとさして驚かないが、初めて「虹の断片」と言ったのは驚くべき新鮮さである。
この歌は歌碑に彫られて大石田の丘に建っている。この歌と関係があるように、「東南のくもりをおくるまたたくま最上川のうへに朝虹たてり」という歌もがあるが、これも最上川の上に立つ道であることが、作者の注意をひいたし、 読者もまたその点に注意するのである。
一連の歌
最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片
真紅(まあか)なるしやうじやう蜻蛉いづるまで夏は深みぬ病みゐたりしに
やみがたきものの如しとおもほゆる自浄作用は大河にも見ゆ
朝な朝な胡瓜畑を楽しみに見にくるわれの髭のびてしろし
--『白き山』-虹
※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
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