藤沢周平のエッセイを読んでいたら、斎藤茂吉が自分の代表作としたものがどの歌か、ということを藤沢が書いてあり、興味深く読みました。
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「藤沢周平とっておきの話」
斎藤茂吉が自分の代表作としたものがどの歌かを欠いていたのは、藤沢周平。
「藤沢周平とっておきの話」の中のエピソードです。
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斎藤茂吉自身の自信作短歌
藤沢周平によると、斎藤茂吉自身が自分の代表作として、自信を持っていたものは下の歌だといいます。
春の雲かたよりゆきし昼つかたとほき真菰に雁しづまりぬ
一般的には茂吉の代表作と言えば、『赤光』の「死にたまふ母」か「白き山」の最上川の歌を思い浮かべることが多いと思う。
藤沢には意外なことに上の作だったというのです。
藤沢が言うに、茂吉自身が「生涯の作品から代表作を1首選んだ時にこの歌にしたと言ったほどの自信作」ということです。
斎藤茂吉本人の述懐
斎藤茂吉本人は何と言っているかというと、「作歌四十年」から引くと
これは友二人と共に柴崎沼の方に旅した時のもので「残雁行」と題して発表した八首中の三首である。三つとも意味の分からぬ処がなく、言葉も順当にはこばれているようにおもう。こういう声調はのびのびとしているから、平賀元義の万葉調とは違うが、宗武とか良寛とかいう万葉調歌人のにはこういうのがあるように思う。残雁の趣味などは一時歌人の意識から消えかかったものだが、天然を丁寧に見さえすれが決して陳腐に陥らないことをこれらの歌が証明している。また、このあたりで自分の歌が小さく一進歩をしているのではないかとおもわれる。
同本の他の自作への記述と比べると、やはり相当の自信作で、出来栄えに自ら満足していたと思っていたといっていいだろう。
なお、「残雁」とは仲間に遅れ独り残っている雁のことで、白氏文集の「寂寞深村夜 残雁雪中聞」の影響あって、古くから好んで歌題とされた、とのこと。
一連の他の雁の歌
むらがりて落ちかかりたるかりがねは柴崎沼のむかうになり
あまのはら見る見るうちにかりがねの一つら低くなり行きにけり
下総をあゆみ居(を)るときあはれあはれ驚くばかり低く雁なきわたる
この作品の情景に面したのは、佐藤佐太郎と山口茂吉と三人で下総を柴崎沼の周辺を歩いている時なのだが、興味深いことに佐太郎は「真菰は実際には一面の枯葦の原であった」としながら、「茂吉秀歌」において「そういう雁の移動が収まった後の静かさが豊かに表現されている」として、この歌を讃えている。
真菰と葦の違い
ちなみに真菰と葦の画像を挙げておくと
こちらは真菰。真菰はイネ科マコモ属の多年草。高さ1.5m。
こちらが葦になる。イネ科ヨシ属の多年草。高さは2m。
どちらでも、そんなに違いはないようだが、佐太郎は枯れているか緑に茂っているかの違いを言いたかったのかもしれない。
なお、柴崎沼への旅は昭和8年の3月19日だった。
茂吉の歌にある柴崎沼はどこか
柴崎沼はどこかというと、検索では出で来ず、以前、我孫子の手賀沼付近にあったが、今は埋め立てられて、なくなってしまったということがわかった。
ただ、「柴崎沼」というような沼の体ではなく、元々広い湿地帯のようなところでもあったようだ。
代わりに、その付近とされる手賀沼遊歩道若松地区の「文学の広場」にこの歌の歌碑がある。いつか行って見てみたい。
なお、山口茂吉と佐藤佐太郎は「友」というのではなく、「弟子」であったとも思うのだが、茂吉とこの二人との心の交流は深く、心楽しい小旅行であったのだろうと思う。
それだけに、このような歌が詠めたのかもしれない。
※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
藤沢周平が好きな斎藤茂吉の短歌
なお藤沢周平が斎藤茂吉の歌で一番好きなものを挙げていたが、それは何かというと
あまつ日は松の木原のひまもりてつひに寂しき蘚苔を照らせり
だそうで、私は茂吉が上の雁の歌を挙げるのはそれほど意外ではないのだが、藤沢の好きな歌にはいくらか拍子抜けをした。
上は、「つゆじも」の中にある歌だが、『赤光』や『あらたま』の歌は、「私くらいの歳になりますと文学的すぎる」と藤沢は言う。
年齢云々というより、文筆の仕事をしている人だと、案外そういうものなのかもしれないとも思うし、また、いかにも藤沢の好みそうな歌であるとも言えるかもしれない。
「つひに寂しき」がこの歌の眼目だろう。
あらためて見直すとしみじみといい歌だ。また一つ私に好きな歌が増えた。