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笹はらをただかき分けて行きゆけど母を尋ねんわれならなくに「死にたまふ母」斎藤茂吉『赤光』 

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笹はらをただかき分けて行きゆけど母を尋ねんわれならなくに

斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から「其の4」の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。

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斎藤茂吉の記事案内

『赤光』一覧は 斎藤茂吉『赤光』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞 にあります。

「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。

※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

 

笹はらをただかき分けて行きゆけど母を尋ねんわれならなくに

 

現代語での読み:ささはらを ただかきわけて ゆきゆけど ははをたずねん われならなくに

作者と出典

斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の4 7首目の歌

現代語訳

笹原をただかき分けて夢中に進んでいったけれども、母を探し求めようとしていたわけではないのに

歌の語句

・笹はら…クマザサなど低い笹が一面に生えている野

・行きゆけど…「ゆく」を二つ重ねて「どんどん進んでいった」ことを表現する

・行きゆけど…「ど」は逆説の接続助詞

・尋ねん…旧仮名だと「尋ねむ」が正しいが、「死にたまふ母」では作者は他にも「ん」の新かな表記を採択している。

例:みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる

句切れと表現技法

・句切れなし

・「われならなくに」は万葉集にある慣用句




解釈と鑑賞

歌集『赤光』「死にたまふ母」の其の4の7首目の歌。

作者は葬儀のあと、郷里の温泉に滞在後帰京、その折の散策の歌と思われる。

この歌の一つ前が、「山かげに消(け)のこる雪のかなしさに笹かき分けて急ぐなりけり」で、笹原を急いで登っていくという場面がそのまま続いている。

まるで母を探し求めるかのように、笹原をかき分けてどんどん進んでいったが、もちろん母がもう世にあるはずはない。いくら急いでも母には会えないのに。

というのが歌の意味。

「急ぐ」という行為は、「死にたまふ母」の最初から共通している感情が根底にある。

其の1の歌にある通り、

みちのくの母のいのちを一目見ん一目見んとぞただにいそげる

最初は死に向かっている母に一目でも会おうというのが急ぐ理由であった。

それと対比して、今は母はどんなに急ごうと会えない。母に付随して「急ぐ」行為だけが残っているが、急ぐ必然は母の死と共にもはや消失している。

「われならなくに」

「ならなくに」は「そのような私ではないのに」と機会の少ない稀なことや、いくらか屈折した心情を表現するときに使われる万葉集や、それ以後の歌にある慣用句である。

結句にあって、「…のに」の意味で余韻を残して終えるのに使われる表現。

「われならなくに」は、そのまま訳せば「私ではないのに」ということになるが、ここでは「急いでも母にあえるわけではないのに」の意味となる。

「われならなくに」の用例

古今集には、下の有名な歌がある。

陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに 古今集

斎藤茂吉の秀歌では下の歌が有名

さ夜ふけて慈悲心鳥のこゑ聞けば光にむかふこゑならなくに

一連の歌

ふるさとのわぎへの里にかへり来て白ふぢの花ひでて食ひけり

山かげに消(け)のこる雪のかなしさに笹かき分けて急ぐなりけり

笹原をただかき分けて行き行けど母を尋ねんわれならなくに

火のやまの麓にいづる酸(さん)の湯に一夜(ひとよ)ひたりてかなしみにけり

ほのかなる花の散りにし山のべを霞ながれて行きにけるかも

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