さ夜ふかく母を葬りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から主要な代表歌の現代語訳付き解説と観賞を記します。この歌は母の火葬の場面を詠っています。
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※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
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さ夜ふかく母を葬りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
読み:さよふかく ははをほうりの ひをみれば たたあかくもぞ もえにけるかも
現代語訳
夜も更けて真っ暗な中、母を火葬する火を見守っていると、ただ赤くもえているのであったよ
出典
『赤光』「死にたまふ母」
歌の語句
- さ夜… 「さ」は接頭語 漢字では「小夜」と書く。夜更けに 夜遅くに
- 葬り…「ほふり」の読み仮名で 発音は「ほうり」
- 見れば…已然形+「ば」の順接の確定条件という用法 (以下に解説)
順接確定条件
訳は「…ので」「…から」と訳す
- 赤くもぞ…「(係助詞「も」「ぞ」の重なったもの。上に来る語と述語との結合を強調する。
「燃えにけるかも」の品詞分解
燃え | 「燃ゆ」が基本形 |
に | 完了の助動詞「ぬ」の連用形 |
ける | 「けり」が基本形 詠嘆の助動詞 「…だったのだなあ」「…ことよ」 |
かも | (助詞の「か」と「も」が重なったもの 詠嘆を表す |
句切れと表現技法
句切れなし
下句の強調と詠嘆「もぞ」と「けるかも」に注意
解釈と鑑賞
歌集『赤光』の中の一首。亡くなった母を焼く火葬の場面を詠ったもの。
作者、斎藤茂吉によると、
火葬場は稲田のあいだの凹処を石垣を以て囲い、棺を薪と藁とで蔽うてそうして焼くのである。火は終夜燃え、世のあけ放つころにすっかり燃えてしまうのである。―斎藤茂吉著『作歌四十年』
とあって、屋外の亡きがらを焼く場所のことを説明している。
火葬には時間がかかり、夜に焼き始めて、夜が明けるまでかかった。
そのため、夜通し灯が絶えないように火の具合を見守りながら、管理をする必要があった。
その際の、火の様子を「さ夜更けて」と「赤くもぞ」として、暗い中での炎の色を印象付けている。
そして「ただ赤くもぞ」の「ただ」は、この場合他に何もないこと、ただ炎だけが見えて、母の痕跡もない絶望を表すだろう。
身内の遺体を焼くということは、ただそれだけでも辛いことであり、作者は、それを闇の中の炎に絞り、上のように表現をしている。
斎藤茂吉の自註
斎藤茂吉はこの歌を『作歌四十年』で、他の歌を含め、下のように解説している
前の二首は、その母のかばねの燃えるところで、深い感慨をこめた調子であらわして行ったのであった。歌であるから、歌の方の約束に基(原文「本」)づき、「ははそはの母は」と言ったり、それから直ぐ「燃えゆきにけり」などつづけて居るし、(中略)これも、抒情詩の一体としての短歌の本態に基づくものと思われる」
塚本邦雄の『茂吉秀歌』の解説
塚本邦雄は『茂吉秀歌』において、他の歌を含め、「三首甲乙をつけがたい力詠だ。凄絶、の一語に尽きよう」と述べている。
一連の歌
わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし
星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり
さ夜ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
はふり火を守りこよひは更けにけり今夜(こよひ)の天(てん)のいつくしきかも