行春の部屋かたづけてひとり居り追儺の豆をわれはひろひぬ 斎藤茂吉の節分を詠んだ短歌2首をご紹介します。
自宅でも豆まきが行われていたようで、家庭的でほほえましい内容の作品です。
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斎藤茂吉の記事案内
斎藤茂吉の短歌から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
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斎藤茂吉とは 日本を代表するアララギの歌人
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斎藤茂吉の節分の短歌
節分は「追儺(ついな)」と呼ばれて古くからある習慣のひとつです。
斎藤茂吉も節分の短歌を読んでいますが、どちらも豆に関するものです。
行春の部屋かたづけてひとり居り追儺の豆をわれはひろひぬ
読み:ゆくはるの へやかたづけて ひとりおり ついなのまめを われはひろいぬ
作者と出典
出典は「ともしび」。
初句は「ゆくはる」、晩春のことです。
節分というのは、そもそも、季節の変わり目であり、立春です。
体感的にはまだまだ寒いのですが、暦の上では春。
このときのかたづけは、さらにそれから日が経った頃のことで、節分の名残の豆が落ちているのに気が付いたということでしょう。
「行春」「追儺の豆」いずれにも季節感が表れており、ほのぼのとした感じが漂います。
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もう一首、節分の歌、
おさなごの筥(はこ)を開くれば僅かなる追儺の豆がしまひありたり
読み:おさなごの筥(はこ)を開(あ)くれば僅(はつ)かなる追儺(つゐな)の豆がしまひありたり
作者と出典
斎藤茂吉『寒雲』
子供の荷物、何か大切なものがこまごまとしまってあった箱なのでしょう、ふとのぞいてみると、数粒の豆がそんなところにもしまわれている。
それをふと発見したことが、歌となっています。
何ともほほえましい歌です。
子息の北杜夫によると、斎藤茂吉は子煩悩だったと言っていますし、子供を詠んだ歌の他に、孫を詠んだ歌も多くあります。