信濃路はあかつきのみち車前草も黄色になりて霜がれにけり
斎藤茂吉『ともしび』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
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斎藤茂吉の歌集『ともしび』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」 をご覧ください。
信濃路はあかつきのみち車前草も黄色になりて霜がれにけり
読み:しなのじは あかつきのみち おおばこも きいろになりて しもがれにけり
歌の意味と現代語訳
信濃の国の寒い夜明けの道を歩くと、オオバコの草も黄色になって霜に枯れているのであった
歌集 出典
斎藤茂吉『ともしび』 大正15年
歌の語句
・信濃路…信濃のくに 長野県
・あかつき… 夜明け
・車前草…オオバコ 道に生える野草
・霜がれ…しもがれ【霜枯】草木などが霜のためにしぼみ枯れること。しもがれること。また、その荒涼とした眺め。
修辞・表現技法
2句切れ
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斎藤茂吉『ともしび』短歌代表作品 解説ページ一覧
鑑賞と解釈
大正15年11月作。
信濃伊那に講演に行った時の歌。
斎藤茂吉自註『作家四十年』より
その年信濃に講演に行ったときに作った。第一種。道の車前草が平たく黄色になって霜がれたところで、その頃たいへん感動して作ったのであった。『も』は他の草も既に刈れたが、車前草もという意味があった。(『作歌四十年 自選自解 斎藤茂吉』)
佐藤佐太郎の解説
他に「みすずかる信濃の国は車前草もうらがれにけり霜をかむりて」という作もある。一方は「黄色になりて」枯れたオオバコであり、一方は「霜をかむ」ったオオバコである。このように見る角度によって一つの素材が何首かの歌になるのは、一首一首が単純であるべきことをよく知って、実行しているからである。
普通オオバコは黄葉するというようなこともなく、ただ何となく枯れてゆくものだが、それが信濃のようなところは急激に寒さが来るためか、昼夜の寒暖の差が大きいためか、路傍の平凡なオオバコが美しく「黄色になりて霜がれ」ているというのである。小気味のいい暁の寒さ、ひいて手応えのある自然の一角というものが感じられる。
「信濃路はあかつきのみち」という一二句の技法は、一歩あやまれば俗臭のまつわるところだが、それがかえって朗々とひびくのはどういうわけであろうか。歌が理づめでなく、ひびきに酔うように気力をこめているのがいいのであろう。 ―「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
「ともしび」の一連の歌
信濃路はあかつきのみち車前草も黄色になりて霜がれにけり
山々にうづの光はさしながら天龍川よ雲たちわたる
国の秀(ほ)を我ゆきしかばひむがしの二つの山に雪ふりにけり
寒水に幾千といふ鯉の子のひそむを見つつ心なごまむ
みすずかる信濃の国は車前草もうらがれにけり霜をかむりて
やま峡(かひ)の道にひびけり馬車は秋刀魚をつみて日ねもすとほる