よひ闇のはかなかりける遠くより雷とどろきて海に降る雨
斎藤茂吉の第9歌集『石泉』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
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斎藤茂吉の記事案内
このページは現代語訳付きの方で、語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。
斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」 をご覧ください。
代表作である「死にたまふ母」は、以下の記事で
よひ闇のはかなかりける遠くより雷とどろきて海に降る雨
読み:よいやみの はかなかりける とおくより らいとどろきて うみにふるあめ
歌の意味と現代語訳
宵闇の頃となり心ぼそくはかない感じがする中に、雷が遠くから鳴りながら近づいてきて、海に降り始める雨よ
歌集 出典
斎藤茂吉『石泉』 「熱海にて」
歌の語句
・宵…夜に入る頃 宵闇は、その暗さ
・はかなかりける…はかなし+「けり」の連用形
・遠く…形容詞「遠し」の連用形
・雷…読みは「らい」
修辞・表現技法
句切れなし
体言止め
鑑賞と解釈
第9歌集『石泉』「熱海にて」の歌。
斎藤茂吉は、風邪の療養のため、熱海に滞在したその時の歌と解説している。
熱海の海に向かっている夕暮れ時に、聞こえてきた雷とその後の雨の様子を詠んだもの。
主観句は2句目の「はかなかりける」で、健康がすぐれない時の、療養旅行中の孤独な心持が表れている。
「海に降る雨」の体言止めは、あたりが暗くなる様子と時刻から、雷というやや距離のある事物、さらにそこから、海に古強い雨に視点を移している。
薄暗さの視覚、雷の音、海をたたく雨の音など、視覚と聴覚のとらえるものが、敏感に表されている。
作者が下に述べるように、療養中の病者特有の繊細な神経が、外界に投影されていると思われる。
他に、『ともしび』に、「ぬばたまの夜にならむとするときに向ひの丘に雷(らい)ちかづきぬ」の歌があるが、この歌は斎藤茂吉本人が高く評価していた歌で、この歌もおそらく、自信を持っていた作品だと推察される。
雷の「ライ」の読みには工夫があると思われる。
その点の解説は
ぬばたまの夜にならむとするときに向ひの丘に雷ちかづきぬ 斎藤茂吉『ともしび』
斎藤茂吉自註『作家四十年』より
宵闇になって、心ぼそくはかない感じがその辺りを領して居る、すると雷が遠くから鳴り近づいて来て強い雨が降ってきたというので、此処にも、『雷』が出て来てうるさいようであるが、この歌のみを独立せしめるとそううるさくはないであろう。
また『海に降る雨』と結んだ結句が幾らか新しいようにおもわられる。(-『作歌四十年 自選自解 斎藤茂吉』)
佐藤佐太郎の解説
「はかなかりける」からすぐ「遠くより」と続くところ、「遠くより」からすぐ「雷とどろきて」と続くところは、実に簡潔でいい。散文に替えることのできない韻文の味わいである。結句の「海に降る雨」がまた簡潔である。―「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
「石泉」の一連の歌
ひくくして海にせまれる森なかに山鳩啼くはあやしかりけり
かの山をひとりさびしく越えゆかむ願(ねがひ)をもちてわれ老いむとす