白ふぢの垂花ちればしみじみと今はその実の見えそめしかも
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から、現代語訳付き解説と観賞を記します。
この歌は、全編の最初の歌となります。
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白ふぢの垂花ちればしみじみと今はその実の見えそめしかも
現代語での読み:しろふじの たりはなちれば しみじみと いまはそのみの みえそめしかも
現代語訳
いつの間にか白藤の花も散ってしまい、今はその実も見えるようなころとなった
出典
『赤光』「死にたまふ母」 其の一 第2首
歌の語句
- 白ふぢ…藤の花の白いもの
- 垂花…藤の花の垂れさがった様子
- しみじみと…副詞。意味は「深く心に染みて感ずるさま」
「見えそめしかも」の品詞分解
- 見え…基本形「見ゆ」
- そめ…基本形「そむ」 漢字は初む
- 意味は「見え始めた」
- し…過去の助動詞「き」の連体形
- かも…詠嘆の助動詞
句切れと表現技法
- 句切れなし
解釈と鑑賞
歌集『赤光』の其の一の第2首目。
母の状態を気遣いながら帰郷を急ぐ時に、最初は広い葉の植物、次には、白藤の花を詠んでいる。
前の歌とこの歌の両方は、母のことを指す言葉はまだ何も出てこないので、「死にたまふ母」全編の序章ともいえる。
母の死に伴って、母の発病からの時の流れを振り返ったのだろう。
時の流れを外部の植物に感じている。
「しみじみと」には、忙しい医師業に母を十分にかえりみる時間がなかった悔いがあったとも思われる。
また、内心の暗さとは対照的に美しい春の季節への哀感が漂っている。
塚本邦雄は、全体の構成として「動と静とに挟まれた歌ゆえに「白ふぢ」は静中の静であらねばならなかった。」と指摘している。
一連の歌
ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なけれ
白ふぢの垂花(たりはな)ちればしみじみと今はその実の見えそめしかも
みちのくの母のいのちを一目(ひとめ)見ん一目みんとぞただにいそげる
うちひさす都の夜(よる)にともる灯(ひ)のあかきを見つつこころ落ちゐず
ははが目を一目を見んと急ぎたるわが額(ぬか)のへに汗いでにけり