卓の下に蚊遣の香を焚きながら人ねむらせむ処方書きたり
斎藤茂吉『あらたま』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
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このページは現代語訳付きの方で、語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。
他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『あらたま』の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。
『あらたま』全作品の筆写は斎藤茂吉『あらたま』短歌全作品にあります。
卓の下に蚊遣の香を焚きながら人ねむらせむ処方書きたり
読み:たくのしたに かやりのこうを たきながら ひとねむらせん しょほうかきたり
歌の意味と現代語訳
机の下の足元に蚊取線香を焚きながら、人を眠らせるための薬の処方を書いた
出典
『あらたま』大正5年 14 蜩
歌の語句
- 蚊遣・・・蚊取り線香のこと。夏季、カやブヨなどの害虫を追い払うために煙をいぶらせること
- 焚く・・・線香は「焚く」の動詞が対応する
- 人ねむらせむ・・・睡眠薬のこと 当時は催眠剤といった。「む」は未来の助動詞
表現技法
- 句切れなし
- 「ながら」は、やや柔らかい言い方
- 眠るはひらがなを使っている点に注意
鑑賞と解釈
この一連の前の歌、「狂院に宿(とま)りに来つつうつうつと汗かきをれば蜩鳴けり」の通り、病院の宿直の様子を詠った一連の中の歌で、下の作者の自注にあるが、廻診の後の処方を書いてから眠る倣いであった。
夏の夜なので蚊取り線香が焚かれており、作者もこれからの自分の眠りも予感している。何とはなしに夜の静けさも感じるのは、、薬や睡眠薬といわずに、「ねむり」とあるせいだろう。
さらに、これを「眠り」と漢字表記にしなかったのは、蚊遣りの「けむり」が、実際の光景にも、作者の意識にも潜在的に流れているからだろう。
初句の「卓の下に」を、佐太郎は「新しくもあり確かでもある」と言っているが、なぜ卓の下に置くのかというと、煙がそこにこもるからである。つまり、「卓の下に」と入れることで、煙との暗示が強まっている。
夏の夜のけだるさと、一日の仕事の終わりは、ミレーの晩鐘の安らぎにも通じるものがある。
「いささかの為事を終へてこころよし夕餉の蕎麦をあつらへにけり」は、もっと即物的な表現だが、こちらの歌には、それとは違う不思議な雰囲気がある。
それはやはり、「人ねむらせむ」という作者の職業からくる言葉があるからだろう。
斎藤茂吉自身の解説
これは一渡り夜の廻診を済ませて、不眠の患者が居ると、それにいちいち催眠剤の処方を書いて、それから寝るのであった。『卓の下』という語も「人ねむらせむ」も苦労したおぼえがある。併しその頃は一首の歌を作るということは無上の楽しみでもあった。(『作歌四十年』斎藤茂吉)
佐藤佐太郎の一首評
「卓の下に」が新しくもあり確かでもある。それから「人ねむらせむ」に感傷がある。
「書きたり」という淡々とした結句にこの頃の傾向が見える。精神病医としての生活の断面であるが、言葉が安らかでおのずからなる哀韻がある。 「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
一連の歌
14 蜩
橡の樹も今くれかかる曇日の七月八日ひぐらしは鳴く
狂院に宿(とま)りに来つつうつうつと汗かきをれば蜩鳴けり
いささかの為事を終へてこころよし夕餉の蕎麦をあつらへにけり
土曜日の宿直(とのゐ)のこころ独りゐて煙草をもはら吸へるひととき
蜩は一ときなけり去年ここに聞きけむがごとこゑのかなしき
卓の下に蚊遣の香(こう)を焚きながら人ねむらせむ処方書きたり
こし方のことをおもひてむらぎもの心騒(さや)げとつひに空しき
ひぐらしはひとつ鳴きしが空も地(つち)も暗くなりつつ二たびは鳴かず