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わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし「死にたまふ母」 斎藤茂吉『赤光』

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わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし

斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から其の3の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。

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斎藤茂吉の記事案内

『赤光』一覧は 斎藤茂吉『赤光』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞 にあります。

「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。

※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

 

わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし

現代語での読み:わがははを やかねばならぬ ひをもてり あまつそらには みるものもなし

作者と出典

斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の3 5首目の歌

現代語訳

亡くなった母を焼くための火を持った。空には見るものは何もない

歌の語句

・持てり… 「持つ+り(存続の助動詞)」

・天つ空… 「天 空」の古語。「」は「の」の意の格助詞

解説:「り」について

完了・存続の意味をもち、ラ変型の活用で、サ変動詞の未然形、四段動詞の命令形につく。

 

句切れと表現技法

  • 3句切れ




解釈と鑑賞

歌集『赤光』の其の3 5首目の歌。

母の亡骸をこれから焼こうとする場面。

作者自身が点火のための薪などを自ら持って、母の亡骸を焼くための薪に火をくべようとする。

「死にたまふ母」の火葬の状況

作者の説明によると

火葬場は稲田のあいだの凹処を石垣を以て囲い、棺を薪と藁とで蔽うてそうして焼くのである。火は終夜燃え、世のあけ放つころにすっかり燃えてしまうのである。『作歌四十年』より

 

「焼かねばならぬ」の作者の心情

いかに亡くなっているとはいえ、生みの母を「焼く」ということの無残さが、「焼かねばならぬ」の「ねばならぬ」に込められている。

状況の厳しさを伝えるこの言葉がためらいを持ちながらも、決然と進もうとする作者の心情を伝える。

「ねばならぬ」の例

「ねばならぬ」には、他にも

「 ものみなの饐ゆるがごとき空恋ひて鳴かねばならぬ蝉のこゑ聞ゆ」

「死なねばならぬ命まもりて看護婦はしろき火かかぐ狂院の夜に」

「雨ひと夜さむき朝けを目の下(もと)の死なねばならぬ鳥見て立てり」

など、作者のこのんだ表現といえる。

「見るものもなし」

「見る」の主語は、作者なのであるが、「そらに見えるものもない」と意味なら「見ゆるものなし」が正しいとの指摘がある。

「天つそら」の効果

塚本はこの歌を含む3首を「甲乙をつけがたい力詠」と評価している。そして「天つ空」続く歌の「ははそはの母」の万葉語の効果についてもふれている。

一連の歌

わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし

星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり

さ夜ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも

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