湯どころに二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゆんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」其の4の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。
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湯どころに二夜ねむりて蓴菜を食へばさらさらに悲しみにけりの解説
現代語での読み:ゆどころに ふたよねむりて じゅんさいを くえばさらさらに かなしみにけり
作者と出典
斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の4 19首目の歌
現代語訳
温泉に二晩泊って蓴菜を食べると、さらに悲しみが増すのであったなあ
歌の語句
- 湯どころ・・・上山温泉のこと
- 二夜・・・二晩
- ねぶりて・・・「眠り」と同じ意味。基本形「ねぶる」
- 蓴菜(じゆんさい)・・・山菜の一種
- さらさらに・・・「さらさら」は「今新たに」「あらためて」の意味
- けり・・・詠嘆の助動詞
句切れと表現技法
- 句切れなし
- 「さらさら」は以下に解説
解釈と鑑賞
歌集『赤光』「死にたまふ母」の其4の19首目の歌。
母の葬りの後に温泉に泊まった2日間に詠まれた歌とされる。
初版の歌との比較
初版においては結句は「悲しみにけれ」。
已然形止めというものになるが、改選版で一般的な「けり」に訂正されたとみえる。
この短歌の特徴
この歌で特徴的な部分は蓴菜の山菜と「さらさらに」の副詞の部分だろう。
蓴菜はスイレン科の水生植物で、寒天質に包まれた若芽を食すので、さらさらというよりも、ややぬめりのある食感の食材である。
なので、じゅんさいが直接さらさらを連想するようなものではない。
「さらさらに」
「さらさら」は辞書にある言葉で、「さらに」の反復強調系。
「に」をつけて副詞となり「今新たに」「あらためて」の意味となる。
万葉集にある句
「さらさらに」の有名なものは、大伴家持の歌「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき」であり、この部分は意識してとられたものであろう。
「さらさらに」はこの歌では、川の音の擬音または布さらしの擬態語と「さらに」の意味を併せ持つ言葉である。
茂吉の本歌では、擬態語の意味はないが「さらさら」がジュンサイの「さ」と相まって、さわやかな音調の印象となっている。
また、「二夜」というある意味重なった夜が、「さらさら」の畳語とも関連性を持たせられるだろう。
ひと晩よりも、2日経ってさらに悲しみが深まったのである。
解説ページ:
多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき 東歌の労働歌
蓴菜の郷土性
ジュンサイは郷里の山菜の一首で作者には思い出の深いものでもあり、一首にローカルな味わいを加える物でもある。
品田悦一氏(『異形の短歌』)は、「おそらく朝食の場面でしょう」と推察している。
上山温泉の場所
一連の歌
蔵王山(ざわうさん)に斑(はだ)ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨(そば)ゆきにけり
遠天(をんてん)を流らふ雲にたまきはる命は無しと云へばかなしき
やま峽(かひ)に日はとつぷりと暮れゆきて今は湯の香(か)の深くただよふ
湯どころに二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゆんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり