死にたまふ母

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり/死にたまふ母/斎藤茂吉「赤光」

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斎藤茂吉の代表作短歌集『赤光』の有名な連作、「死にたまふ母」の一首「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」の歌の現代語訳と解説、観賞を記します。

「赤光」の歌一覧は、斎藤茂吉「赤光」短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞にあります。
「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の語の注解と解釈も併記します。
他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した「赤光」の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。

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のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

(読み)のどあかき つばくらめふたつ はりにいて たらちねのははは しにたまうなり

歌の意味と現代語訳

のどの赤い二羽の燕が梁にとまっていて、母は死んでいかれてしまった

歌の語句

玄鳥(つばくらめ)・・・つばめ

屋梁(はり)・・・梁 柱の上にはり渡し、屋根を支える材

足乳根(たらちね)の・・・母につく枕詞。垂乳根とも表記する

表現技法

関わりのない2つの事物を平衡に並べる手法は「たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花赤く散りゐたりけり」などにもあるが、ここでは間を「て」でつないでいる点を塚本も品田も言及している。

「『て』の助詞を介して燕と母とが時間の隔たり抜きにつながれていることが、異様なまでに濃密な厳粛感をこの一首にもたらしている」--品田悦一 『斎藤茂吉』

 

「『屋梁にゐて=死にたまふなり』という情景設定と断定の二要素をつなぐものは何もない。『て』の働きはそのくせ計り知れない。」塚本邦雄 『茂吉秀歌』

解説と鑑賞


「死に近き母に添い寝のしんしんと遠田の蛙天にきこゆる」と並ぶ、「死にたまふ母」全59首中の秀歌とされる。

初版本では「いのちある」の後ろに「のど赤き」が配置されていた。

「赤」は斎藤茂吉のキーカラー

この歌集のタイトルが『赤光』である通り、赤は斎藤茂吉のキーカラーであると言ってよい。

「赤光」は岡井隆が「夕光」であるというように、太陽の光だが、「赤」色を生き物に用いたのは、他に「蚕(こ)の部屋(へや)に放(はな)ちしほたる)あかねさす昼なりしかば首すぢあかし」(明治39年)、「くれなゐの鶴のあたまに見入りつつ狂人守(きゃうじんっもり)をかなしみにけり」(大正元年)などがある。

この歌だけでなく、斎藤茂吉に「赤のモチーフ」は常に続いているものであり、「くれなゐの茂吉」と呼ばれていたことを島木赤彦が書いている。

斎藤茂吉自註

以下は、斎藤茂吉のこの歌の自解です。

---もう玄鳥が来る春になり、屋梁に巣を構えて雌雄の玄鳥が並んでいたのをそのまま表した。下句はこれもありのままに素直に直線的にあらわした。

さてこの一首は、何か宗教的なにおいがして捨てがたいところがある。世尊が涅槃に入る時にも有象がこぞって嘆くところがある。私の悲母が現世を去ろうという時、のどの赤い玄鳥のつがいが来ていたのも何となく仏教的に官命が深かった。

また、何も言わずに、ありのままに直線的に言い下したのもかえって効果があったように思うし、かたがたこの一首も保存しておくことにした。――斎藤茂吉『作歌四十年』

佐藤佐太郎の解説

以下は佐藤佐太郎の解説の文です。

---親類縁者が集まって臨終を見まもっている、そういう緊張した光景をのぞくように、あるいは無関係のように、梁に燕が二つ並んでいるのは不思議に深刻である。 その燕を「のど赤き」と端的にいったのもはなはだよい。

ひじょうの際にこれだけのものを視たのは、やはり写実の精神が徹底していたからである。このあたりは作者は未だ「実相観入」ということをいわなかったが、その見事な実行がここにある。

この一二句は、短歌表現における単純化と具体化との関係に無限の暗示 を投げている。それから「なり」という助動詞の詠嘆的使用法も注意していい。(「茂吉秀歌上」佐藤佐太郎)

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