死にたまふ母

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり/死にたまふ母/斎藤茂吉「赤光」

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のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり 斎藤茂吉の代表作短歌集『赤光』の有名な連作の歌の現代語訳と解説、観賞を記します。

「赤光」の歌一覧は、斎藤茂吉「赤光」短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞にあります。

「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の語の注解と解釈も併記します。

※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列していますので、合わせてご覧ください。

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のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

(読み)のどあかき つばくらめふたつ はりにいて たらちねのははは しにたまうなり

意味と現代語訳

のどの赤い二羽の燕(つばめ)が梁にとまっていて、母は亡くなられた

歌の語句

・玄鳥(つばくらめ)・・・つばめ

・屋梁(はり)・・・梁 柱の上にはり渡し、屋根を支える材

・足乳根(たらちね)の・・・母につく枕詞。垂乳根とも表記する

「死にたまふなり」の部分の文法解説を記します。

「死に」

「死ぬ」 ナ行変格活用動詞の連用形

下に敬語がつくので、「亡くなる」と訳す

「たまふ」

「たまふ」は尊敬語の補助動詞。動詞・助動詞の連用形に付く

その動作主を尊敬する意を表す。「お…になる」「お…なさる」などと訳せる

「なり」

「なり」は断定の助動詞。「…だ」

表現技法

軒下にいる燕と、母の死は実質的に何の関連もない。

このような、関わりのない2つの事物を平衡して並べる手法は、斎藤茂吉の他の短歌、「たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花赤く散りゐたりけり」などにもある。

ここでは間を「て」でつないでいるところに着目、塚本邦雄や品田悦一が言及している。

下に各解説を挙げる。

品田悦一の解説

「『て』の助詞を介して燕と母とが時間の隔たり抜きにつながれていることが、異様なまでに濃密な厳粛感をこの一首にもたらしている」--品田悦一 『斎藤茂吉』

塚本邦雄の解説

「『屋梁にゐて=死にたまふなり』という情景設定と断定の二要素をつなぐものは何もない。『て』の働きはそのくせ計り知れない。」塚本邦雄 『茂吉秀歌』

 

 

 

解説と鑑賞

「死に近き母に添い寝のしんしんと遠田の蛙天にきこゆる」と並ぶ、「死にたまふ母」全59首中の秀歌とされる。

初版本では「いのちある」の歌の後ろに「のど赤き」が配置されていた。

啓示としての燕

軒下にいる燕と、母の死は、実質的に何の関連もないのだが、作者の斎藤茂吉は、下に示すように、二羽の燕から仏教的な啓示に似たものを受け取っている。

燕は、この場合、単なる鳥ではなく、作者にとってひとつの象徴として機能している。

宗教的な「死」のとらえ直し

つまり、作者の母の死は、歌のなかでは単なる臨終ではない。

母の死は、ここで作者個人の悲しみを超えた、ひとつの宗教的な出来事としてとらえ直されている。

一つの命の終焉が尊いことに高められている。それは、「死にたまふ」として母に敬語が使われていることからも読み取れるだろう。

平たく言ってしまえば、母はもはや作者の母ではなく、仏となられたのである。

母の新しいフェーズ

母がそのように変わられた、その尊い死を、作者自らがそういうのではなく、天からの啓示のように遣わされた二羽の燕が、作者に母の生涯の新しい局面を伝えるべくして軒先にいる。

作者は、そこまでは言わず、それを暗示するにとどめるだけなのだが、燕というありふれた要素を使うことによってその暗示に成功している。

すなわち、燕という要素が加味されることによって、母は「一目見ん一目見ん」としていた対象ではなくなっている。

現世の母ではなくなることによって、生涯の新しいフェーズ(局面)を得て、母はここで初めて永遠の存在に昇華したのである。

「赤」は斎藤茂吉のキーカラー

この歌集のタイトルが『赤光』である通り、赤は斎藤茂吉のキーカラーであると言ってよい。

「赤光」は岡井隆がこの赤光とは具体的に何を指すかというと「夕光である」という。

夕方に限定されるかはともかくとして、「赤光」は太陽の光を指すと思われる。

ただし、「赤光」が何かという言う以上に「赤」が茂吉にとっては、好みの色であり、言葉であったのは生前からも言われていたことである。

「死にたまふ母」他の「赤」を用いた短歌

「死にたまふ母」の中には他にも

「長押なる丹ぬりの槍に塵は見ゆ母の邊の我が朝目には見ゆ」

があり、この「丹塗り」というのは、赤い漆塗りのという意味になり、この短歌も「赤」を含む短歌である。

さらに、「赤」を生き物に用いた『赤光』の中の短歌は、他に「蚕(こ)の部屋(へや)に放(はな)ちしほたる)あかねさす昼なりしかば首すぢあかし」(明治39年)、「くれなゐの鶴のあたまに見入りつつ狂人守(きゃうじんっもり)をかなしみにけり」(大正元年)などがある。

「くれなゐの茂吉」

この歌だけでなく、斎藤茂吉に「赤のモチーフ」は常に続いているものであり、茂吉の呼び名として、「くれなゐの茂吉」というものがあったことを島木赤彦が書いている。

「死にたまふ母」斎藤茂吉自註より

以下は、斎藤茂吉のこの歌の自解、自註です。

もう玄鳥が来る春になり、屋梁に巣を構えて雌雄の玄鳥が並んでいたのをそのまま表した。下句はこれもありのままに素直に直線的にあらわした。

さてこの一首は、何か宗教的なにおいがして捨てがたいところがある。世尊が涅槃に入る時にも有象がこぞって嘆くところがある。私の悲母が現世を去ろうという時、のどの赤い玄鳥のつがいが来ていたのも何となく仏教的に感銘が深かった。

また、何も言わずに、ありのままに直線的に言い下したのもかえって効果があったように思うし、かたがたこの一首も保存しておくことにした。――斎藤茂吉『作歌四十年』

佐藤佐太郎の解説

以下は佐藤佐太郎の解説の文です。

親類縁者が集まって臨終を見まもっている、そういう緊張した光景をのぞくように、あるいは無関係のように、梁に燕が二つ並んでいるのは不思議に深刻である。 その燕を「のど赤き」と端的にいったのもはなはだよい。

ひじょうの際にこれだけのものを視たのは、やはり写実の精神が徹底していたからである。このあたりは作者は未だ「実相観入」ということをいわなかったが、その見事な実行がここにある。

この一二句は、短歌表現における単純化と具体化との関係に無限の暗示 を投げている。それから「なり」という助動詞の詠嘆的使用法も注意していい。(「茂吉秀歌上」佐藤佐太郎)

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