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黒林のなかに入りゆくドウナウはふかぶかとして波さへ立たず/斎藤茂吉の海外旅行詠 歌集『遠遊・遍歴』 より代表作品

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黒林のなかに入りゆくドウナウはふかぶかとして波さへ立たず 黒林のなかに入りゆくドウナウはふかぶかとして波さへ立たず 斎藤茂吉には一連の海外旅行詠が、たくさんあり、歌集は『遠遊』『遍歴』にそれが収められています。斎藤茂吉の海外旅行の短歌をご紹介します。

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斎藤茂吉の西欧見分と旅行詠

By Pudelek  https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3350303

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『つゆじも』で病気療養中の嘆きを詠ったものの、やがて健康が回復し、念願の海外留学に出立。『遠遊』はウィーン滞在中の作品、続く『遍歴』はドイツ滞在中の作品を集めたものです。

後からまとめられたという経緯もあって、日本で詠まれた短歌に比べて、取り上げられることは少ないようですが、海外旅行詠としても楽しく読めるものも多いです。

佐藤佐太郎の解説も加えて、代表作を一覧で示します。

■「つゆじも」一覧を見る

※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

 

斎藤茂吉『遠遊』--ウィーンに留学

ウィーン滞在中の作品。

こほりつつ流るるにかあらし豊かなるドウナウのみづの音のさびしさ

茂吉の海外詠でいちばんよく取り上げられるものは、ドナウ川を詠んだものが多い。後の最上川詠の前に多く読まれた川ともなる。他に「ドウナウの流れの寒さ一めんに雪を浮かべて流るるその音」もある通り、1月中にドナウ川を見に行き、その厳しい寒さに焦点が当たっている。

斎藤茂吉の自註

この大河は一面に雪を浮かべ、身うzも豊富で、異様な寒い響きを立てている、後になって気づいたのであるが、これは半ば氷りつつ流れているのであった。(その前の作品にくらべて)「こほりつつ流るるにかあらし」のところが観察に一歩を進めている。

佐藤佐太郎の解説

寒気のために河水が凍りながら流れるという厳しい自然相であるが、その大きな流水からたつ音の寂しさを詠嘆している。「豊かなる」というサンクが特にはたらいている。後に昭和5年医満州に旅行して松花江の凍る流れを歌にしているが、これはその先駆をなす一首である。

基督(キリスト)の一代の劇壮大に果てむとしつつ雷(らい)鳴りわたる

南ドイツ参観の村で行われる民間劇のキリスト受難劇を観劇。この雷は、劇中の雷ではなく、たまたま外に置いてなったものであった。

佐藤佐太郎の解説

偶然の雷鳴をキリスト受難劇の壮大な終局にふさわしく荘厳なる者として受け取ったのである。演技の場面、演技者の効用、観衆の感動などをこめて「壮大」にといい、さらに「果てむとしつつ」といったのが力量十万の表現である。この三四句をうけいれるだけでも短歌の堂奥を味わうことができる。また結句も簡潔で力強い。

復活祭の朝にうちたる銃(つつ)のおと谷谷(だに)わたるこだまとぞなる

日本では運動会の催しのある日には花火が鳴ったりするが、上はスイスのチロル地方、そこでは復活祭の日には祝いのために、銃を打つ習慣があるらしい。
「こだま」はここでは平仮名であるが、「木精」と記す歌があり、漢字の印象で使い分けたようだ。

佐藤佐太郎の解説

そのひびきが遠く長く案間にこだまを伝えるのがいかにも爽快である。

サン・ピエトロの丸き柱にわが身寄せ壁画のごとき僧の列見つ

ローマに滞在した折サン・ピエトロ寺院の広場で詠まれた作品。実際にこの広場を訪ねたことのある佐太郎は次のように。

佐藤佐太郎の解説

「壁画のごとき」と形容したのは、ヴェネチア、フィレンツェ、ローマと見てきた古代の宗教画を背後にしているのできわめて自然な連想であるが、単に自然で無理がないというだけでなく、古代も現代も区別がないようなサン・ピエトロの特殊な雰囲気を取られた表現である。「わが身よ瀬」という旅行者としての感慨が続くのがさらに静かな感じである。「サン・ピエトロの丸き柱」という上句も簡潔でいい。
私は昭和三十九年にここに立って、その単純化の力量を讃嘆したのであった。しかし作者は何のためらいもないようにしてこの表現をしている。

黒貝のむきみの上にしたたれる檸檬の汁は古詩にか似たる

作者の食事の折の歌と長年思っていたが、ナポリの市場で見かけた情景を詠んだもの。貝、おそらくムール貝のようなものではないかと思うが、それを売っているところがあって、それを生のままむき身にしてレモンの汁をかけて、人々が食べて居る。その印象を詠んだもの。

佐藤佐太郎の解説

エキゾチックでもあり、食欲をそそるようでもあるが、作者は食べなかった。それで「古詩にか似たる」と疑問形で言ったのだが、この連想は非凡である。レモンをたらした貝のむきみには、たとえば、ギリシア・ローマの古詩のような香気があるだろうというのである。

佐太郎は「作者は食べなかった」と書いているが、塚本邦雄は、作者茂吉がこれをレストランで食べたと想像している。

塚本邦雄の解説

作者はこれを、サンタ・ルチアの海に突き出た「卵城」のリストランテで、城葡萄酒のグラスを傾けつつ味わったろう「古詩にか似たる」とは抜群の隠喩、軽い胸騒ぎを覚えるほど飛躍的な表現であり、非写生的俊次だ。繊細華麗に傾く恐れのあるところを、あくまでも骨太に雄々しく見栄を切るような準疑問形の係り結びにした。

うすぐらきドオムの中に沈まれる旅人われに附きし蠅ひとつ

ドオムは丸天井の寺院。ミラノでレオナルド・ダ・ヴィンチその他を見て、休んでいると旅人としての自分が顧みられる。そのような時に作者の脇に居るものは、いつも昆虫の類であり、それが海外においても変わらず、作者の孤独を表明する。

佐藤佐太郎の解説

薄暗い寺院の中に入って疲れを休めていると、流れたあせもおさまり、神経がしずかになって、 おのずから旅人としてここに居る悲哀が兆したことであろう。「附き氏し蠅ひとつ」は、かすかな瑣事だが、不思議な孤独感を漂わせている。

斎藤茂吉『遍歴』―ドイツに移る

ミュンヘンに研究者として1年間滞在した。

はるかなる国とおもふに狭間には木精(こだま)おこしてゐる童子あり

帰国後「文芸春秋」中に発表された一連。ミュンヘンに入り、イ―サル川のはざまで詠まれた。その前には関東大震災に際して案じていた家族の無事を中村憲吉よりの伝聞で知り、「体ぢゆうがからになりしごと楽にして途中靴墨とマッチとを買う」との作がある。

上句「はるかなる国とおもふに」は、作者によると、こだまを聞いていて「私は自身欧羅巴に来ていることを確然と意識せざることを得なかった」とあるが、つまり、外国に居るということを一瞬忘れそうな思いになったということだろう。茂吉自身も山形に育っており、こだまはあるいは馴染んだ懐かしさを呼び起こすものであったのかもしれない。

黒林のなかに入りゆくドウナウはふかぶかとして波さへ立たず

「ドナウ源流行」の中の代表作品で、茂吉の海外詠でいちばん多く引用されるのはこの歌だろう。ドイツ留学中に復活祭の休みを利用してドナウの源を訪ねて行ったときのもので、スイスの国境近くの長めであったようだ。

「黒林」とうのはドイツ語でシュワルツワルトと呼ばれ、通常「黒い森」と言われているところだが、必ずしも特定の地名としての印象は薄い。地名を入れることの良し悪しがあると気が付く。

下句「ふかぶかとして」というのが、不思議な豊かさと静けさを伝えている。また「大き河ドナウの遠きみなもとを尋(と)めつつぞ来て谷のゆふぐれ」というのもあるが、めずらしく古今調に多く見られる「ゆふぐれ」止めとなっている。

佐藤佐太郎の解説

川の流れが黒々とした森の中に入ってゆくところが象徴的でいい。しかもその流れは「ふかぶかとして波さへたたず」という、しずかで豊かな流れである。濃く輪はシュワルツワルトの訳だと作者が行っているが、樅の木の鬱蒼とした大森林で、やがて地方の名にもなっている。ここで単に「黒林」といったのが暗示的でいい。

ヴァン・ゴオホつひの命ををはりたる狭き家に来て昼の肉食(を)す

パリを訪ねたときのもの。ゴッホの家がレストランになっており、作者はそこで食事をした。「フリードリヒ・ニイチェがまだ稚(いとけな)く遊びてゐたる池のさざなみ」も参考になるだろう。

佐藤佐太郎の解説

ゴッホはこの作者が傾倒した画家であった。「つひの命ををはりたる」あたりに主観の響きがある。それから、「狭き家に来て」が捉えるべきものをとらえた表現である。

あふりかの陸のかなたに暮れはてぬ光のなごり寂しくもあるか

マルセーユ出航後、海上で詠まれた。「あふりか」は、このまま平仮名で書かれている。この辺りの光や太陽は印象的なものであるらしく、「空のはて長き余光をたもちつつ今日よりは日がアフリカに落つ」は、北杜夫もあげた歌になる。

佐藤佐太郎の解説

遠ざかったアフリカ大陸の宵闇に日没後の残光がいつまでも見えるところで「暮れはてぬ光のなごり」が確実で重厚である。民族とか国家とかいう細部のない自然現象の大きな深さが一種の簡明である。

この洋にかなしきかなやあさみどりしづかなる水を抱く島あり

帰国後発表された「印度洋」五首の中の一首。この島はミニコイ島というところ、インド洋上の珊瑚礁の小島だそう。「環礁の中に浅黄色の水が見えるところ」と佐太郎の解説にある。

佐藤佐太郎の解説

「かなしきかなや」は悲しと愛しの両方の気持ちを含むものとして、ただ「かなし」と受け取るのがいいようである。「あさみどり」は浅緑で色彩を言ったのだが、それを「あさみどりしづかなる水」と続けたのが実にいい。

汗にあえつつわれは思へりいとけなき瞿曇(くどん)も辛き飯食ひにけむ

インド、コロンボに上陸して食したカレーの辛さを詠んた歌。「辛くて口腔が焼け爛れるようである。それを邪気のない童男童女が、やはりうまそうに食っている」という体験を通じて詠まれた。

「瞿曇」は釈迦の姓で、インド生まれの釈迦もこの辛さを好んだのかという感慨を持った。海外という距離に加え、釈迦の幼児への遡行が歌の時空間をさらに広げている。

おどろきも悲しみも境過ぎつるか言絶えにけり天つ日のまへ

「十二月三十一日、ご縁1時青山脳病院全勝の無線電報を受く」との詞書。船中で東京の病院が全焼した伝聞を受け取った折のもの。作者の来たくはこの後1月の7日のことであった。

佐藤佐太郎の解説

住居や財産や書類が灰塵に帰したばかりでなく、多数の入院患者が焼死している、作者の受けた衝撃は言語に絶するものがあったろう。その自身o状態を⒮自ら凝視して、「驚きも悲しみも境過ぎつるか」といっている。「境」はここでは限界値うことだが、この一語だけでも大した力量である。極限状態を切実に表現し得ている。

作者は茫然自失という状態で甲板に立っているので、四辺は南シナ海の海と空だけであるから「天つひのまへ」といった。天の恩恵をたのむように身をさらしているのである。作者の境涯はにわかに悲痛になり暗澹となった。

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