斎藤茂吉

「茂吉忌」2月25日は斎藤茂吉の亡くなった日 茂吉の生涯と短歌

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今日2月25日は茂吉忌。
歌人で精神科医であった斎藤茂吉が昭和28年に亡くなった日、命日です。

死因は心臓喘息と伝えられていますが、数年前から高齢のため療養しており、同じく精神科医であった斎藤茂太と同居し、家族に看取られた幸せな最期といえます。茂吉の生涯と短歌をご紹介します。

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歌人 斎藤茂吉の生涯

茂吉の生涯を簡単に述べますと

1882年(明治15年)5月14日、山形県上山市に生まれ、15歳の時に遠縁の外であった斎藤紀一の家に同居するため上京、両親の元を離れて暮らします。

婿養子候補とよく書かれますが、最初からそうであったわけではなく、寄宿している書生のような身分であり、 成績をあげなければならなかったこともあって、自由な青春時代ではなかったようです。

東京大学に合格し、その後、斎藤紀一の娘の輝子と結婚し、婿養子となりましたが、夫婦仲はそりが合わず、お嬢様気質であった奔放な妻輝子との間は不和を抱えもち、一時は別居をしていたこともあります。子供は上の斎藤茂太と、次男に作家の北杜夫他に娘たちがいます。

短歌に関しては、アララギの前身であった、伊藤左千夫の門下となったのは明治39年。

1908年(明治41年)の『アララギ』創刊に参加。1913年に刊行した「赤光」によって、一躍有名な歌人となり、世に知られるようになりました。

他に「あらたま」「白桃」「白き山」など17冊の歌集があり、生涯で1万8千首の短歌を詠んだと伝えられています。

斎藤茂吉「赤光 死にたまふ母」

中でも、もっとも有名なものは、最初の歌集「赤光」の中の、「死にたまふ母」一連の作品です。

教科書にも掲載されて、もっとも知られる作品となっています。

死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり

*当ブログでは、一首ずつの解説と鑑賞を記しています。
斎藤茂吉「死にたまふ母」全作品 現代語訳付き解説と鑑賞 短歌集「赤光」

芥川龍之介と斎藤茂吉の交流

また、その「死にたまふ母」を収めた歌集「赤光」は、多くの歌人や文学者に注目されるところとなりました。

芥川龍之介も心酔した一人であり、「自分の短歌への目は斎藤茂吉に開けてもらったのである」と言っています。

斎藤茂吉は、また芥川龍之介の主治医でもあり、芥川の自殺の後に、追悼の歌を詠んでいます。

24日河童忌にちなみ斎藤茂吉の芥川龍之介を詠んだ短歌

斎藤茂吉の第二歌集「あらたま」

第二歌集「あらたま」においては、北原白秋との作品上の「交流」や当時刊行されたばかりの梁塵秘抄の影響を受けた作品を多く詠んでいます。

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

ほのぼのと諸国修行に行くこころ遠松かぜも聞くべかりけり

草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ

斎藤茂吉「あらたま」短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞

「あらたま」斎藤茂吉の「祖母」

また、「あらたま」には、「死にたまふ母」に匹敵する、祖母の死を詠んだ一連の作品があります。

ものの行(ゆき)とどまらめやも山峡(やまかひ)の杉のたいぼくの寒さのひびき

いのちをはりて眼をとぢし祖母(おほはは)の足にかすかなる皹のさびしさ

おほははのつひの葬り火田の畔(くろ)にいとども鳴かぬ霜夜はふり火

長崎赴任中の短歌

東京から長崎に赴任。現在の長崎医大で教えるためでした。

あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺のゐらかにふる寒き雨

しづかなる港のいろや朝飯の白くいき立つを食ひつつおもふ

朝あけて船より鳴れる太笛(ふとぶえ)のこだまはながし並みよろふ山

オーストリアとドイツへ留学

そのあと、念願の海外留学へ出発します。

黒貝のむきみの上にしたたれる檸檬の汁は古詩にか似たる

はるかなる国とおもふに狭間には木精(こだま)おこしてゐる童子あり

黒林のなかに入りゆくドウナウはふかぶかとして波さへ立たず

斎藤茂吉の海外旅行詠 歌集『遠遊・遍歴』 より代表作品「黒林のなかに入りゆくドウナウはふかぶかとして波さへ立たず」

帰国後の苦難の日々 病院全焼

無事に、勉強を終えて帰国しますが、帰ってみると、病院は不慮の火事で、焼失していました。

そこから、茂吉の苦難の日々が始まったとも言えます。

かへりこし家にあかつきのちやぶ台に火焔(ほのほ)の香する沢庵を食む

家いでてわれは来しとき渋谷川に卵のからがながれ居にけり

うつしみの吾がなかにあるくるしみは白ひげとなりてあらはるるなり

斎藤茂吉歌集『つゆじも・遠遊・遍歴・ともしび』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞

妻輝子との不和と永井ふさ子との恋愛

なんとか、病院を再建しますが、今度は不和続きだった輝子が、不行状を取りざたわれる新聞記事となってしまったいわゆる「ダンスホース事件」によって、夫婦は別居。

その後、茂吉は、永井ふさ子という短歌の仲間と出会い、恋愛関係となります。

斎藤茂吉 永井ふさ子との相聞歌 歌集未収録作品に見る真情

永井ふさ子と斎藤茂吉との恋愛 結婚できなかった理由とふさ子の優れた短歌

永井とも別れて、終戦後に茂吉は東京を離れます。茂吉の歌が戦争を詠んだために、非難を避けるためでした。

そうして、戦争のあとの長い期間を家族と離れて、心寂しく過ごさねばなりませんでしたが、この時期に、「白き山」の秀歌、最上川の歌をたくさん詠んでいます。

最上川逆白波の立つまでにふぶくゆふべとなりにけるかも

やまひより癒えたる吾はこころ楽し昼ふけにして紺の最上川

うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日

そして、つづく「つきかげ」において、老いと身辺とを詠み乍ら、茂吉は静かに人生の終わりに向き合ったのでした。

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斎藤茂吉について詳しくお知りになりたい方は、品田悦一先生の本をおすすめします。

品田悦一先生による斎藤茂吉の短歌の細かい解析については、こちらの本がすぐれています。
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各歌集の解説は、佐藤佐太郎の新書は絶版。他に、塚本邦雄のものなら手に入ります。おもしろく読めますが、こちらも上級者向きです。





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