斎藤茂吉

スペイン風邪にかかった長崎滞在中の斎藤茂吉の短歌

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斎藤茂吉が長崎滞在中にスペイン風邪にかかったことはよく知られています。

コロナウイルスによる感染者が世界中で増え続けていますが、朝日新聞のコロナ関連の記事で斎藤茂吉のスペイン風邪の罹患にふれられていました。

長崎で療養中の斎藤茂吉の時の短歌をご紹介します。

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長崎に滞在した斎藤茂吉

大正6年、茂吉は長崎医学専門学校の教授に任じられ、精神科部長として赴任しました。

今の長崎大学で、教鞭をとりながら、患者の診察を行うという責任ある職務につき、茂吉は長崎で新しい生活を始めました。

 

※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列していますので、合わせてご覧ください

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斎藤茂吉の生涯と代表作短歌 特徴や作風「写生と実相観入」

斎藤茂吉がスペイン風邪に罹患

ところがその翌年には、スペイン風邪が日本中で猛威を振るい、大正9年には長崎でも流行、斎藤茂吉もこの風邪にかかってしまいます。

斎藤茂吉、42歳の厄年のときでした。

スペイン風邪とは

このスペイン風邪というのは、どのようなものだったのかというと、「スペインインフルエンザ」とも書かれているので、インフルエンザの一種であるようです。

ビル・ゲイツ氏によると、現在ゲイツ氏は社会福祉事業財団を運営していますが、現在のコロナウイルスについて

新型コロナウイルスの致死率が1%前後で季節性のインフルエンザよりはるかに高く、1957年のインフルエンザの感染爆発(アジア風邪)の0.6%と1918年の感染爆発(スペイン風邪)の中間ぐらいの危険性

であると分析しています。

このスペインインフルエンザの致死率は、2.5%以上ということですので、単純にいえば今のコロナウイルスよりも高いといえます。

ただし、その頃の医療や生活レベルは現代ほどではなかったと思われます。

 

斎藤茂吉がスペイン風邪を詠んだ短歌

斎藤茂吉が直接にスペイン風邪を題材に詠んだ最初の歌。

寒き雨まれまれに降りはやりかぜ衰えぬ長崎の年暮れむとす

この「はやりかぜ」というのが、スペイン風邪のこと。

「衰えぬ」といのは、既に流行が去ったとの意味なのですが、あろうことか、茂吉自身ががこの”はやりかぜ”にかかってしまうのです。

斎藤茂吉もスペイン風邪で入院

はやりかぜ一年おそれ過ぎ来しが吾は臥(こや)せりて現(うつつ)ともなし

一年をかからないように注意して過ごしてきたが、茂吉はとうとうスペイン風邪に倒れてしまい、勤務先の長崎医大に入院します。

斎藤茂吉は42歳と当時としては既に壮年、肺炎を併発し、四、五日間は生死をさまようような重病でした。

ちなみに、茂吉の妻てる子と茂太も罹患したが、症状は軽く回復したといいます。

また、同じ長崎医大で医学部の教授が2人亡くなっており、おそらく年配の方と思われますが、個人差もかなり大きいようです。

50日も療養

斎藤茂吉はそこから本復まで50日も、静かに療養することになります。

くらやみに向ひてわれは目を開きぬ限(かぎり)もあらぬものの寂(しづ)けさ

その後は、半月余りで、県立病院を退院。医師の往診を受けながら、自宅療養に入ります。

「泰山木」の短歌

ゆふぐれの泰山木(たいさんぼく)の白花(しらはな)はわれのなげきをおほふがごとし

 

この泰山木を歌ったものは、茂吉の代表作品の一つとなっている秀歌です。自註にも

「病院の庭に泰山木があって白い豊かな花が咲いて居る。それを見ておると病気の悲哀を忘れることが出来る。『おほふがごとし』であった。」

とありますので、この花の大きく真白な様子に救われる思いがしていたようです。

 

島木赤彦が長崎に斎藤茂吉を見舞う

そして、島木赤彦が長崎に茂吉を見舞いに訪れます。

その時の歌。

長崎の暑き日に君は来りたり涙しながるわがまなこより

よしゑやしつひの命と過ぎむとも友の心を空しからしむな

島木赤彦は、部屋に寝ているだけの茂吉の様子を見て、雲仙温泉に転地するようにすすめます。

赤彦と、茂吉の妻輝子夫人と、雲仙温泉の旅館の一室で茂吉はまずは、雲仙のよろづや旅館というところで、療養することとなりました。

赤彦が茂吉を落ち着かせて岐路に立ちます。その時の歌

この道に立ちてぞおもふ赤彦ははや山越しになりにつらむか

赤彦はいづく行くらむただひとりこの山道をおりて行きしか

下の歌は、万葉集の當麻麿大夫(たぎまのまろのまへつきみ)の妻の詠んだ、「わが背子(せこ)はいづく行くらむ奥(おく)つもの名張(なばり)の山を今日(けふ)か越ゆらむ」を踏襲したことを茂吉が自解しています。

そうして赤彦を見送った後に、しみじみと下のように述懐しています。

うつでみの命(いのち)を愛(を)しみ地響(ちひび)きて湯いづる山にわれは来(き)

7月のことで、茂吉は折々山を散策しながら、その景色を歌に詠みます。

小鳥らのいかに睦みてありぬべき夏青山(なつあおやま)に我はちかづく

あそぶごと雲のうごけるゆふまぐれ近やま暗く遠山明し

「近やま暗く遠山明し」は、こういうのがアララギ派の”写生”というところですが、日が沈みかかっているのでこのように見えた景色のそのままをよく観察しています。

「湯いづる山の月の光」雲仙温泉の短歌

そして、滞在する部屋の中を詠んだ秀歌が下のもの

湯いづる山の月の光は隈(くま)なくて枕(まくら)べにおきししろがねの時計(とけい)を照(て)らす

この歌は茂吉自身も「捨てがたい味わい」「無造作に言ったのであろうが、やはりこれでよいようである」と書いているので、自分でも大変に気に入っていたようです。

 

その後も茂吉は、雲仙から唐津、古湯、西浦上六枚板の金湯、小浜、嬉野の各温泉での療養生活を体験しました。

下は唐津海岸の歌。

この病癒えしめたまへ朝日子の光よ赤く照らす光よ

「朝日子」というのは、朝日のことで、「死にたまふ母」に詠まれた茂吉の山形のお母さんは、上ってくる朝日に手を合わせたと伝えられており、素朴な信仰心を持っていたようです。

佐賀県の古湯温泉に移るとようやく病の癒える兆しが見えてきます。

みづからの生(いのち)愛(を)しまむ日を経(へ)つつ川上(かはかみ)がはに月照りにけり

苦しく孤独な療養生活で詠み続けたこの時期の茂吉の短歌は、独特の味わいがあります。

 

療養のため転々とした九州の各地で詠んだ他の短歌については、

『つゆじも』斎藤茂吉短歌代表作品一覧と解説ページ目次 

にありますので、斎藤茂吉の療養の経緯を踏まえて鑑賞されてみてください。

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