死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から、現代語訳付き解説と観賞を記します。
スポンサーリンク
斎藤茂吉の記事案内
『赤光』一覧は 斎藤茂吉『赤光』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞 にあります。
「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。
※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
・・・
死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな
現代語での読み:しにちかき ははがめにより をだまきの はなさきたりと いいにけるかな
現代語訳
迫りくる死に面する母に顔を寄せ、苧環の花が咲いたと言ったのであったよ
出典
『赤光』「死にたまふ母」 其の2 7番目の歌
歌の語句
死に近き…病状が重く亡くなりかけているとの意味
母が目…「目」は顔全体を指す言葉 古語
おだまき…植物 多く紫の花を咲かせる野草でもある
「言ひにけるかな」の品詞分解
動詞「言ふ」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の連用形+詠嘆の助動詞「けり」の連用形+「かな」詠嘆の助動詞
句切れと表現技法
- 句切れなし
- 結句の長い詠嘆の助動詞
解釈と鑑賞
歌集『赤光』の其の2 7首目の歌。
おだまきの花は、この前「其の1」に、「山いづる太陽光を拝みたりをだまきの花咲きつづきたり」がある。
朝起きて、外を眺めた作者の目に映ったのが、太陽の光と共に庭、または庭に続く畑や原に点々と咲くおだまきの花であった。
おだまきに中止をして、振り返った作者が再び母の枕元に戻り、今見たものを母に伝え、話しかけている場面になる。
死の床に横たわったままの母は、意識も朦朧として、作者が話しかけても反応はない。
それでも生きてあるうちにと、母を呼び、話しかける作者の姿がある。
本林勝夫によると、この情景は
動けないまま死の床にいる母に顔を寄せ、「お母さんオダマキの花が咲いた」よと言ったのである。
素朴な農婦としてその生涯を終えようとする母に対する切ない気持ち、それが端的に出ている
「死に近き」の初句で始まる歌
初句の「死に近き」で始まる歌は他に、「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる」 が先行してあるのと、この後にもさらに「
死に近き母が額(ひたひ)を撫(さす)りつつ涙ながれて居たりけるかな」が続く。
一連の歌
山いづる太陽光(たいやうくわう)を拝みたりをだまきの花咲きつづきたり
死に近き母に添寝(そひね)のしんしんと遠田(とほだ)のかはづ天に聞ゆる
桑の香の青くただよふ朝明(あさあけ)に堪へがたければ母呼びにけり
死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな
春なればひかり流れてうらがなし今は野(ぬ)のべに蟆子(ぶと)も生(あ)れしか