しみじみと雨降りゐたり山のべの土赤くしてあはれなるかも
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」其の4の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。
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※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
しみじみと雨降りゐたり山のべの土赤くしてあはれなるかも
現代語での読み:しみじみと あめふりいたり やまのべの つちあかくして あわれなるかも
作者と出典
斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の4 16首目の歌
現代語訳
しみじみと春の雨が降っていた。山のあたりの土のは赤くて心を惹かれるものだ
歌の語句
・降りゐたり・・・「降る+をる」の複合動詞
・たり・・・存続の助動詞
・山のべ・・・「べ」は「辺」。「~のあたり」
・あはれなり・・・「しみじみとした思いだ」「 趣深く感じる」の意味
・かも・・・詠嘆の終助詞
句切れと表現技法
・2句切れ
解釈と鑑賞
歌集『赤光』「死にたまふ母」の其4の16首目の歌。
作者茂吉は母の火葬の後、蔵王山の高湯温泉の旅館に滞在。
その際の散策の時のことであろうと思われる。
前の歌で、夕陽に輝く蔵王山の雪を見ようと上ってきたが、そちらは思ったような景色が得られなかった。
それで、むしろ赤い土の方に「あはれ」を感じて、その描写を加えている。
雨が降っていたので、土は水分を含んで赤土の色がはっきりと見えていたのでアロう。
「あはれ」は初句の「しみじみと」と重なるもので、作者の情感を伝えている。
『斎藤茂吉 異形の短歌』の解説に「酸の温泉」であるから、土が赤くなることが触れられている。
蔵王山「父なる山」
蔵王山は山形出身の斎藤茂吉にとって幼年時代に親しんだ山であり、故郷を象徴する事物であった。
作者の幼年期を外から表す言葉に「蔵王の山を父として育った」という表現もある。
ただの土の赤さというよりも、幼少から見慣れた土の色でもあり、生家が農家である茂吉の愛惜の対象でもあったと思われる。
「死にたまふ母」一連においては、故郷の事物はすべて母につながるものであるというところにポイントがある。
そのために目に入る一つ一つに、しみじみとした感興を伴って大切に歌に書き留めているのである。
蔵王山の場所
一連の歌
寂しさに堪へて分け入る山かげに黒々(くろぐろ)と通草(あけび)の花ちりにけり
見はるかす山腹なだり咲きてゐる辛夷(こぶし)の花はほのかなるかも
蔵王山(ざわうさん)に斑(はだ)ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨(そば)ゆきにけり