しづかなる峠をのぼり来しときに月のひかりは八谷をてらす
斎藤茂吉『ともしび』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。
このページは現代語訳付きの方です。語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。
他にも佐藤佐太郎の「茂吉三十鑑賞」に佐太郎の抽出した『ともしび』の歌の詳しい解説と鑑賞がありますので、併せてご覧ください。
斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉の作品と生涯 特徴や作風「写生と実相観入」 をご覧ください。
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しづかなる峠をのぼり来しときに月のひかりは八谷をてらす
読み:しづかなる とうげをのぼり こしときに つきのひかりは やたにをてらす
歌の意味と現代語訳
しずかな峠を登ってきて見下ろすと、たくさんの谷を月の光が照らしている
歌集 出典
「ともしび」 「箱根漫吟の中」大正14年
歌の語句
・しづかなる…基本形「しづかなり」 静かの文語の仮名遣い
・のぼり来し… 「のぼる+来る」の複合動詞 「上ってきた」
・「来し」の読みは「こし」で、基本形は「来」(く)。「来し」の「し」は過去の助動詞「き」の連用形
・ひかり…ひらがなであるところに注意
・八谷…「やたに」 八はここでは、「たくさんの」の意味。
・てらす…現在形
参考:
八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を 解説
表現技法
・「しずか」「のぼり」「ひかり」「てらす」など、いずれもひらがなの表記
・実際の過去の登山の体験であるが、結句は現在形
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斎藤茂吉『ともしび』短歌代表作品 解説ページ一覧
鑑賞と解釈
大正14年作「箱根漫吟の中」43首の大作の中の冒頭の一首。
作者斎藤茂吉本人も気に入っており、茂吉の代表作の一つ。
句またがりの効果
「しづかなる峠をのぼり来しときに」の、「のぼり来しときに」の8文字の句またがりがあり、そのため2,3句は一気に読まれるため、それが峠を登る感覚を呼び起こすだろう。
同時に、「峠をのぼり来しときに」の読みの長さが、長い峠を登ってきた時間の経過をも伝える伸びやかな調べとなっている。
照り渡る月光
しずかで単調な山道をてくてくと上ってきて目の前が開けると、今までのぼってきた、山々がすべて眼下(まなした)に見下ろす位置に見える。
その時に、その山々の間の谷のくぼみに、いっそう高い空からの月の光が照り渡っているという情景。
時間の経過と、場所の移動を表すのが「のぼり来しときに」の8文字の長さと、「ときに」という時間と場所との一地点を指摘する語となっている。
「ときに」といって、おもむろに月のひかりに視点を移させ、美しい眺めを登場させる順序の構成が見事であるし、それがそのまま、作者の体験したままの時間的な感覚といっていい。
感動に至る歌の経過=山道
一首全体の静謐さが初句「しづかなる」から続くが、静かな中にも山登りの動作を終えて、光が広がる瞬間に感動がある。
また、「しづかなる峠」と「八谷」を結ぶのが「のぼり来」の行為を表わす動詞で、それが移動の距離感をも含んでおり、景色の広さと相まって歌に広がりを与えている。
詠み手の体感するものは、作者と同じく視点の移動であるが、「峠」「のぼり」「谷」の高低差も知らないうちに含まれており、静謐さの中にも動的なものが隠れている。
「のぼり来」の用例
「のぼり来」は、 「ともしび」に他に
はるばるとのぼり来りし五人(いつたり)は雲より鳴れる雷(らい)を聞き居り
などもある。
「八谷」は造語
「八谷」というのは、他にもありそうな言葉なのだが、佐藤佐太郎は斎藤茂吉独自のものとして、「八雲」や、万葉集の八峰(やつを)を上げて、「そういう例からの造語」と述べている。
箱根強羅の土地について
箱根強羅は歌に何度も読まれているが、ここには斎藤茂吉の養父が持っていた土地に別荘があって、「強羅山荘」と茂吉の解説書にはある。
茂吉は気に入って度々訪れたことを下のように書いている。
「昭和10年以来は長くここに滞在するようになり、柿本人麻呂長歌評釈もまったくここでできたのである。今年すなわち昭和19年もここに滞在することができ、この稿を進めているのは神明の加護によるものである」とある。
・「ともしび」に旅行詠が多い理由については、岡井隆が解説したものがあります。
斎藤茂吉自註『作家四十年』より
以下は、斎藤茂吉のこの歌の解説。
自分はここに来て連日ここの自然に親しみも多く作った。ここの自然はいかがなものでも自分には珍しく感動の種であった。
月光も虫声も驚嘆すべく、かつて信濃富士見で作った歌のような調べが心打たに見えるのも、久々にそういう感動が蘇ったからに他ならぬのである。
「しづかなる峠をのぼり来しときに」の歌は、自分の歌でも出来の良いものとして、百人一首などにも入れたのであるが、それもここでできた。。 --斎藤茂吉自註『作家四十年』
佐藤佐太郎の評
佐藤佐太郎のこの歌の解説
「八谷」は眼下に見える多くの谷の意味で「八雲」とか「八ちまた」とか同類の語がある。
「八谷」はそういう例を根拠とした造語と思うが、ほとんど卒然としてこういう晴れ晴れとした言葉を生むというのは驚くべき表現力である。
こういうやや形式化した言葉には、現実の垢を洗い落としたというさわやかさがあるし、この四五句は清く澄んで朗らかな響きを持っている。--「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
一連の歌
しずかなる峠をのぼり来し時に月の光は八谷を照らす
くまなき月の光に照らされしさびしき山をけふ見つるかも
ものの音(と)に怖(お)づといへどもほがらかに蟋蟀(こほろぎ)鳴きぬ山のうへにて
青山に動ける雲のさびしきをひとり雲(ぐも)とぞ吾は云はむか
しづかなる光は夜(よは)にかたむきておどろがうへの露を照らせり