斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から其の4の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。
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『赤光』一覧は 斎藤茂吉『赤光』短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞 にあります。
「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。
※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
ほのかなる花の散りにし山のべを霞ながれて行きにけるかも
現代語での読み:ほのかなる はなのちりにし やまのべを かすみながれて いきにけるかも
作者と出典
斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の4 9首目の歌
現代語訳
ほのかに野草の花が散る山のあたりを霞がながれて行くのであるなあ
歌の語句
・ほのかなる…形容動詞「ほのか+なり」
・花の…花はアケビの花と言われている
・「ちりにし」の品詞分解
散る+ぬ 過去の助動詞 +し 過去の助動詞「き」の連体形
・山のべ…「べ」はあたり 漢字「辺」
いきにけるかもの品詞分解
「行く」自動詞+「ぬ」完了の助動詞+「けり」詠嘆の終助詞+「かも」詠嘆の終助詞
句切れと表現技法
・句切れなし
解釈と鑑賞
歌集『赤光』「死にたまふ母」の其の49首目の歌。
作者茂吉は母の火葬の後、蔵王山の高湯温泉の旅館に滞在して帰京した。
花はアケビの花というのが通説で、ほんのりと咲いた可憐な花がもう散ってしまったろう、という
季節の移り変わりを思っている。
作者にとって幼少の頃に親しんだ山の風物はすべて思い出に結び付くものであり、その思い出は母の存在に集約されている。
初版の「はも」
初版では結句は「行きにけるはも」となっていた。
「はも」は万葉集に用例があるが、その場合の「はも」は過ぎ去ったもの、遠くへ立ったものへの哀惜を表す意味がある。
霞も古くから歌に詠まれるものであって、同時に春という季節のうら悲しさを表してもいる。
「山のべ」には山を遠くから眺めているということで、そのような視点が亡くなってしまった母との心の距離感を暗示させる。
歌の調べ
「ほのかなる」「はな」のハ行の連続で始まる一首は、調べがなだらかであり、カ行の音は「行き」の部分にしかない。
改正版で結句に「かも」が使われたが、「はも」は意味と同時に音の柔らかさで選択されたものだろう。
蔵王山の場所
一連の歌
酸(すゆ)き湯に身はかなしくも浸(ひた)りゐて空にかがやく光を見たり
山かげに消(け)のこる雪のかなしさに笹かき分けて急ぐなりけり