かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出づる山べ行きゆくわれよ
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から「其の4」の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。
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※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出づる山べ行きゆくわれよ
現代語での読み:かぎろひの はるなりければ きのめみな ふきいづるやまべ いきゆくわれよ
作者と出典
斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の4 1首目の歌
現代語訳
春なので木の芽が一せいに芽生え始める山辺を行く私なのである
歌の語句
・かぎろひの…春にかかる枕詞
・なりければ…「なり+けり+ば」の順接確定条件
・行きゆく…自動詞 「行きに行く」「進みに進む」「行き続ける」の意味
・われよ…代名詞「われ」 「よ」は詠嘆の終助詞
句切れと表現技法
・句切れなし
・「われよ」は万葉集にもある慣用句的な言い方
解釈と鑑賞
歌集『赤光』「死にたまふ母」の其の4 1首目の歌。
作者茂吉は、母の火葬の後、「若松屋」旅館のある温泉に滞在して帰京した。
その滞在中の様子を詠んだ歌が、「死にたまふ母」の其の4の一連となる。
母の死の季節
母が亡くなったのは5月で、山形県にも春が訪れて美しい季節であった。
作者は茂吉は、蔵王の山を温泉のある滞在地へと歩む。
久しぶりに見る故郷の春の美しさを述べる導入となっている。
「かぎろひの春」
「かぎろひの」には、単に「春」とするよりも季節が強調されている。
「春なので」といえばいいところを、上2句を使って季節を表す。
春の季節の事象の中でも、木々の目が芽生えるというところを取り出すことで、一連の命題である母の死の対極にある「生」を描いている。
「死にたまふ母」で詠まれているのは、「死」だけではない。
命の美しさが詠まれた歌がバランスよく配置され、生死を対比することで、いっそうの哀切さをもって母の他界を表している。
一連の歌
かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出づる山べ行きゆくわれよ
ほのかなる通草(あけび)の花の散るやまに啼く山鳩のこゑの寂しさ
山かげに雉子が啼きたり山かげに湧きづる湯こそかなしかりけれ
酸(すゆ)き湯に身はかなしくも浸(ひた)りゐて空にかがやく光を見たり
ふるさとのわぎへの里にかへり来て白ふぢの花ひでて食ひけり