おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我(われ)ら行きつも
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から其の3の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。
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※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我(われ)ら行きつも
現代語での読み:おきなぐさ くちあかくさく ののみちに ひかりながれて われらいきつも
作者と出典
斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の3 4首目の歌
現代語訳
おきな草の花が赤く咲いている野辺の道に春の光が流れていて、そこを私たちは母の亡骸を守って行ったのだ
歌の語句
・おきな草…キンポウゲ科の野草 釣鐘状の花をつける
・行きつも…「行く+つ(過去完了の助動詞)+も(詠嘆の終助詞)」
句切れと表現技法
- 句切れなし または初句切れ
解釈と鑑賞
歌集『赤光』の其の3 4首目の歌。
一連には、楢若葉、山蚕や、すかんぼに続いて、このおきな草が現れる。
いずれも、作者が幼時から親しんだ、故郷の植物や風物が詠み込まれ、悲哀の情を強めるところとなっている。
「おきな草」の選択について
品田の解説によると、おきな草については植物の人がうつむいたような形状から、「さながら葬列を見送るかのよう」との擬人法的な推測を述べている。
塚本邦雄は、「この歌のおきな草について翁草の花の、あの暗紫いろの内部を「口あかく」と言い切った作者の独断の鮮やかさに、私は改めて脱帽したい。」(塚本邦雄『茂吉秀歌』より)
一連の歌
楢若葉(ならわかば)てりひるがへるうつつなに山蚕(やまこ)は青く生(あ)れぬ山蚕は
日のひかり斑(はだ)らに漏りてうら悲し山蚕は未(いま)だ小さかりけり
葬(はふ)り道すかんぼの華(はな)ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや
おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我(われ)ら行きつも
わが母を焼かねばならぬ火を持てり天つ空には見るものもなし