もの言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ 源実朝  

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もの言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ 源実朝

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もの言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ 源実朝の「金塊集」の有名な代表作の和歌より、親の心を歌った短歌の現代語訳と修辞法の解説、鑑賞を記します。

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もの言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ

読み:ものいわぬ よものけだもの すらだにも あはれなるかなや おやのこをおもう

作者と出典

源実朝 (みなもとのさねとも)

金塊集(きんかいしゅう)

現代語訳と意味

口をきかない、いたる所にいる獣でさえも、しみじみと胸を打たれることだ。親が子を大切に思うようすには。

句切れと修辞法

4句切れ

ものいわぬ

「物を言わない」のことで、意味は、言葉をしゃべることのできない動物、知能の低い獣

四方 よも

意味は「あちらこちら。また、いたる所」

「すらだにも」

「すらだに」は 連語 「…でさえ。…においてさえ」

副助詞「すら」+副助詞「だに」 意味は類義

あはれなるかなや

・あはれなり 形容動詞 意味は「しみじみと心打たれる。すばらしい」

・かな・・・接続助詞 詠嘆「…だなあ」の意味

・や・・・係助詞 意味は「ではないだろうか」の問いかけ

 

解説

けものがその子どもに相対するときの様子を見て、その仕草から「親が子を思う」として、親の愛情に心を打たれるとしみじみと詠ったものです。

対象は獣ですが、まして人間なら、親が子を思うのはもっと強いものがある、という意味を含んでいます。

親の愛情という主題の、人間存在の根源に触れるようなこの歌の内容は、実朝独自のものといえます。

この歌は、わかりやすい歌でありながら、最も実朝らしい特色を備えているとして絶賛されてきた雑歌の中の一首に当たります。

万葉集と新古今集に学びましたが、そのどちらもの先行表現を持っていない歌であり、古典和歌には珍しい響きをもっています。

源実朝は天性の歌人

源実朝は18歳の7月5日に夢の啓示で20首の詩を読み、和歌の神である住吉社に奉納したと伝えられています。

和歌への熱中はたいへんなもので、これもまた、実朝の天性の歌人といわれる所以のエピソードでもあるでしょう。

藤原定家に師事

その時同時に秀作から30首の歌を自ら選び、それをもって、藤原定家に指導を受ける事となりました。

その時定家が贈ったのが万葉集で、以後、実朝の歌は、新古今集の表現を取り入れながらも、万葉調の歌に優れていると言われています。

新古今集の歌も同時に取り入れながら、単なる模倣にとどまらず、もとの歌以上に鮮やかの表現と拡張を獲得して成功した「吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり」「肩敷きの袖こそ霜に結びけれ待つ夜ふけぬるうじの橋姫」などがあります。

実朝の歌の殆どは先行歌のことばと表現を使って構成されつつ、しかもなお独特のたけ高い調べと繊細さを保持しているのが特徴です。

源実朝の歌人解説

源実朝 みなもとのさねとも

源 実朝(みなもと の さねとも、實朝)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍。源頼朝の子。

将軍でありながら、「天性の歌人」と評されている。藤原定家に師事。定家の歌論書『近代秀歌』は実朝に進献された。

万葉調の歌人としても名だかく、後世、賀茂真淵、正岡子規、斎藤茂吉らによって高く評価されている。家集『金槐和歌集』。

実朝の歌は、百人一首にも選ばれている。

源実朝の他の代表作和歌




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