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陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 斎藤茂吉の蔵王の短歌

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陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 斎藤茂吉の歌碑にも記された蔵王の短歌、斎藤茂吉の故郷の山、蔵王を詠んだ歌をご紹介します。

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陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ

読み:みちのくを ふたわけざまに そびえたまう ざおうのやまの くものなかにたつ

作者と出典

斎藤茂吉 歌集『白桃』

意味と現代語訳

みちのくを二つに分けるかのようにそびえる蔵王は、山の上に浮かぶ雲の中に立っている

※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

 

解説と鑑賞

蔵王連峰の手法である熊野岳(1841メートル)の山上の歌碑設立にあたって、その碑に刻むための歌として作られた。

一首の詞書

歌集の昭和9年の項には下のような詞書がある

「6月4日 舎弟高橋四郎兵衛が企てのままに蔵王山上歌碑の一首を作りて送る」

・・・

「立つ」の主語の問

この歌で「立つ」の主語は何かということが議論になったことがあるという。

「立つ」の主語は蔵王山であるようにも詠めるし、「作者が立つ」だとも読めるという。

また、歌碑が山上にあるために、歌碑が立っている」と勘違いをする人もいたようだ。

もちろん、この歌では「蔵王の山」が主語であるのが正しいと思われる。

「の」は「は」または「が」などの主格の格助詞と思われる。

佐藤佐太郎の解説

佐藤佐太郎の解説では

蔵王山は古えは山岳信仰の対象の山で、出羽三山に次ぐ東北の霊山である。その麓の村に生まれた作者は少年の頃から」おそらく二度か三度登っている。その経験を現在にひきつけて、奥羽を太平洋側と日本海側と二つに分けるように聳えている蔵王山に登って、いまその雲の中に立っているといったのである。

下句をただ単純に「雲の中に立つ」といっただけの内容だが、「陸奥をふたわけざまに聳えたまふ」という上句が蒼古として大きい。―「茂吉秀歌」より

 

歌碑に刻まれた蔵王の歌

ところが、斎藤茂吉自身は、歌碑設立には心が向かなかったと見える。

建立を勧めたのは、弟の高橋四郎兵衛。この弟は、『赤光』の「死にたまふ母」に「鰥夫」として登場する一番下の弟になる

四郎兵衛は茂吉と親しい兄弟であり、弟は兄を尊敬し、その功績に報いようとしたのであったが、茂吉がなかなか賛成をしなかったという。

実際に歌碑を見に来たのは、建立から5年が過ぎてからようやく実現した。

それも兄のために尽力した四郎兵衛が、とうとうしびれを切らして、茂吉が見に来てくれるように、知人の上山与一氏に説得を頼んだためだという。

茂吉の賛成しなかった理由は、歌碑が流行することを良しとしなかったためのようである。

歌碑を詠んだ斎藤茂吉の歌

その後の茂吉の歌碑を詠んだ歌がある。

歌碑のまへにわれは来りて時のまは言(こと)ぞ絶えたるあはれ高山や

わが歌碑の立てる蔵王につひにのぼりけふの一日をながく思はむ

一冬を雪にうもるる吾が歌碑が春の光に会へらく思ほゆ

このお山に寂しくたてるわが歌碑よ月あかき夜をわれはおもはむ

みちのくの蔵王の山に消(け)のこれる雪を食ひたり沁みとほるまで

これらの歌を見ると、斎藤茂吉が歌碑をたいそう喜んでいたことが読み取れるだろう。




-白桃

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