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しづかなる砂地あはれめりひたぶるに大き石むれてあらき川原に 斎藤茂吉『あらたま』

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しづかなる砂地あはれめりひたぶるに大き石むれてあらき川原に

斎藤茂吉『あらたま』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。

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斎藤茂吉の短歌研究ご案内

『あらたま』全作品の筆写は 斎藤茂吉『あらたま』短歌全作品 にあります。

斎藤茂吉がどんな歌人かは

斎藤茂吉 三時代を生きた「歌聖」

をご覧ください。

しづかなる砂地あはれめりひたぶるに大き石むれてあらき川原に

読み しずかなる すなじあわれめり ひたぶるに おおきいしむれて あらきかわらに

歌の意味と現代語訳

しずかにしずまっているように見える砂の部分を大切に思って眺めている。大きな石ばかりが群れて転がっている荒い川原にあって

出典

『あらたま』大正6年 19箱根漫吟

歌の語句

  • あはれむ……あわれむ 「かわいそうに思う」の他、ここでは 賞美する。めでる。あわれぶ
  • ひたぶる……ひたすらに。ひたむきに。すべて。全部。
  • あらき…… 基本形「あらい」。「粗い」の方。「人けがない。荒涼としている」そのような川原の様子。

表現技法

2句切れ 倒置
「砂地」の後には目的を表す「を」が省略されている

 

解説と鑑賞

「箱根漫吟」は全57首。10月に箱根に滞在した折に詠まれた。

作者が滞在した五段という温泉は「宮ノ下と堂ヶ島との中間にあった。これは大正12年9月の関東大震災の時、崩倒してしまい、その跡を断ったが、朝日が明星岳あたりからいでて対岸から、早雲山一帯の山を照らすのは実に美しい」とあって、作者がその場所を気に入っていたことがわかる。

前日の会談の後、10日に一人で箱根入り、下山は26日という比較的長い滞在の間に多数の佳作を含む57首は詠まれた。10月の気候の良い折の静養であり、この歌を含め、いずれものびのびとして落ち着いた歌が多い。

歌の内容は、石が大半を占める川原で、石の影に少しばかり砂があり、そこに「あはれ」を感じるといった繊細なものである。

石間の砂地なので、風に乱されたり汚されたりすることもなく、砂も乾いたままひっそりと静まっている。

大きな石に荒涼を感じ、、その石の作り出す「間」、石に隠れるかのようにして見えるわずかな砂地の静謐に、「荒涼」と対になる、ある種の慰めを見出す作者の繊細な心を感じることができる。

一連より他に佐太郎の佳作とするものは以下。

やまみづのたぎつ峡間に光さし大きいしただにむらがり居れり
石の間に砂をゆるがし湧く水の清(すが)しきかなや我は見つるに
かみな月十日山べを行きしかば虹あらはれぬ山の峡より
暗谷(くらだに)の流の上(かみ)を尋(と)めしかばあはれひとところ谷の明るさ

 

斎藤茂吉の自註

堂ヶ島の早川の瀬のところである。一方に大きな石が盤踞し、一方には急湍(きゅうたん)があるかとおもえば、石のかげなどには、白く乾いた砂地などがある。それがなんともいえぬ静かなものである。そこで「あはれめり」といった。(『作歌四十年』斎藤茂吉)

佐藤佐太郎の評

 この感覚は、『赤光』から晩年にわたってこの作者の傾向のひとつである。下句の確かさのなかに潜む詠嘆も注意していい。「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

一連の歌

19 箱根漫吟

大き石むらがりにけり山がはのたぎちに近くうち迫りつつ
石の間に砂をゆるがし湧く水の清(すが)しきかなや我は見つるに
宵ごとに灯(ともし)ともして白き蛾の飛びすがえるを殺しけるかな
しづかなる砂地あはれめりひたぶるに大き石むれてあらき川原に
さびしみてひとり下り来し山がはの岸の滑岩(なめいわ)ぬれてゐにけり
大石のむらがる峡(かひ)に入り来つつ心はりつめて石を見て居り
せまりつつ峡間は深し天つ日の白く照りたるはあはれなるかも

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