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上の山の停車場に下り若くしていまは鰥夫のおとうとを見たり 「死にたまふ母」斎藤茂吉

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上の山の停車場に下り若くしていまは鰥夫のおとうとを見たり

斎藤茂吉の代表作短歌集『赤光』の有名な連作、「死にたまふ母」の歌の現代語訳と解説、観賞を記します。

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斎藤茂吉の記事案内

この歌は、斎藤茂吉の『赤光』の代表作「死にたまふ母」の其の1の10首目の短歌です。

※斎藤茂吉の生涯と、折々の代表作短歌は下の記事に時間順に配列していますので、合わせてご覧ください。

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上の山の停車場に下り若くしていまは鰥夫のおとうとを見たり

現代語での読み:かみのやまの ていしゃばにおり わかくして いまはやもおの おとうとをみたり

歌の意味と現代語訳

上山駅におりて、今は独り身となった弟に会った

歌の語句

上の山の…現在の上山駅

停車場…駅とその周辺を指すと思われる

句切れと修辞・表現技法

  • 句切れなし

解釈と鑑賞

「死にたまふ母」其の1の最後の歌。

今のような新幹線が無い時代、夜通し列車に揺られ、奥羽本線で山形の上山駅に着いたところ。

弟が駅に出迎えに来ていた、というが、交通機関の鳴庵で、人力車が手配されていたようだ。

斎藤茂吉の弟の境遇

弟は末弟の高橋四郎兵衛。急姓守谷直吉で、養子に入ったものの妻に先立たれていた。

鰥夫「やもを」は、今のやもめ、独身の男性をいうことば。

塚本邦雄が「これも養子に行った実弟直吉への、朴訥な感慨を籠めた歌」とある。

昔は、長男以外は家に入られず、他家に養子行くことが多かった。

斎藤茂吉も、東京の斎藤家に養子に入ったわけだが、この時点ではまだ、妻輝子とは結婚も成立していない。

弟も養子に行ったわけだが、こちらは、妻に早く死なれているという境遇であり、互いに他家で運命に翻弄される身の上であった。

「いまは鰥夫」の年月の経過を含む表現は、そのようないきさつを踏まえ、相手への同情を示すものだろう。

斎藤茂吉と兄弟

兄弟の中でも、次兄富太郎と、高橋四郎兵衛は、斎藤茂吉と親交が深く、一緒に旅行をしたり、四郎兵衛が茂吉の歌碑を建立。

他にも、ダンスホール事件の後、輝子を四郎兵衛の元へ預けたこともあり、兄弟でももっとも交流が深かったと言える。

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この短歌の前後の一連

吾妻(あづま)やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり

朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車走るなり

沼の上にかぎろふ青き光よりわれの愁(うれへ)の来(こ)むと云ふかや 白龍湖

上(かみ)の山(やま)の停車場に下り若くしていまは鰥夫(やもを)のおとうとを見たり

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