ひとり来て蚕のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から主要な代表歌の現代語訳付き解説と観賞を記します。
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「死にたまふ母」の全部の訳を一度に読むなら 斎藤茂吉 死にたまふ母其の1 からどうぞ。
※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
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ひとり来て蚕のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり
読み:ひとりきて かうこのへやに たちたれば わがさびしさは きわまりにけり
現代語訳
母のそばを離れて一人で養蚕室に入って立っていると 私の寂しさはこの上ない
注釈
母の死を見届けた後一人蚕の部屋に来て立っていると今更ながら寂しさの底に極まり着いたような気持ちになるのだったの意味 る―「日本近代文学大系 斎藤茂吉」注釈本林勝夫
出典
『赤光』 斎藤茂吉 死にたまふ母其の2
其の2の最後の短歌
歌の語句
- ひとり来て…「われ一人」の省略の「ひとり」
- 蚕の部屋…農家の家の中にある蚕を飼育するための部屋
- 立ちたれば…「ば」は確定順接条件 「…すれば」の意味 「たれ」は過去の助動詞「たり」の連用形
- 寂しさ…形容詞「寂し」の名詞 抽象名詞
「極まりにけり」の品詞分解
- 動詞基本形「極まる」 意味は「ぎりぎりの状態までいく。限度・限界に達する」
- に…過去の官僚の助動詞「ぬ」の連用形
- けり…詠嘆の助動詞 「…だなあ」「…だよ」と訳されることが多い
句切れと表現技法
- 句切れなし
解釈と鑑賞
歌集『赤光』「其の2」の最後の短歌
母が亡くなった後、その部屋を離れて一人になった作者の行動と心境が詠まれた歌
母が亡くなった後、おそらく、他の家族が集まっているときに、作者だけが、蚕の部屋にやってくるという場面。
一連の前の歌にもあり、蚕の部屋が、作者が一人に慣れるという意味で、休息の場でもあった。
一連の歌には、他の家族のことはほとんど記されておらず、作者だけの動向が伺えるが、この歌で「ひとり」というのは、他の大ぜいと自分とを峻別するための言葉だろう。
茂吉は、単なる身内としてだけでなく、医師としての看取りを行ったものと思われる。
そのため、母が亡くなったとしても、その場で涙を見せることを自然と避けたことが十分に考えられる。
「寂しさは」が主語
この歌の特異なところは、品田悦一氏が記している通り、「寂しさは」が主語となっており、「私は」ではない。
品田悦一氏は、この点を単なる「主客分離」ではなく、「話者と対象の分離」と記している。
この不自然な「分離」が著しいのは、作歌態度としてだけではなく、やはり、その場に遭った、作者の立場が、母の身内でありながら、医師という、いくらか複雑なアイデンティティーを要求されていたためとも思われる。
その分離は、たとえば、言わずもがなの「われは子なれば」などの表現にも表れているように思う。
※その歌の解説はこちらの記事で
はるばると薬をもちて来しわれを目守りたまへりわれは子なれば 斎藤茂吉
斎藤茂吉の自註
斎藤茂吉はこれを自註で以下のように説明している
ははの臨終ほとんど直後に出来たもので、母を暫し離れて部屋に来ると、今まで張っていた心が急に緩んでとめどなく涙が流れて来る。母もとうとう亡くなったことをおもうと、その寂寥はほとんど夢幻のような気持ちがする。そこで「わが寂しさは極まりにけり」といった。こういうのびのびとした詠嘆句は、その頃なかなか多く使ったものであるが、只今ではもうあまり使わぬようになった。―斎藤茂吉著『作歌四十年』
塚本邦雄は、この歌について「作者は人目を離れて、思いきり泣きたかったのだ」との推測を述べています(『茂吉秀歌』より)
一連の歌
母が目をしまし離(か)れ来て目守(まも)りたりあな悲しもよ蚕(かふこ)のねむり
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我(わ)を生まし乳足(ちた)らひし母よ
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり
いのちある人あつまりて我が母のいのち死行(しゆ)くを見たり死ゆくを
ひとり来て蚕(かふこ)のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり
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