草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ
斎藤茂吉『あらたま』から主要な代表歌の解説と観賞です。このページは現代語訳付きの方です。
『あらたま』全作品の筆写は斎藤茂吉『あらたま』短歌全作品にあります。
スポンサーリンク
斎藤茂吉『あらたま』案内
この歌の掲載されている歌集『あらたま』一覧は 『あらたま』斎藤茂吉短歌一覧 現代語訳付き解説と鑑賞 にあります。
※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は 下の記事に時間順に配列しています。
・・・
草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ
読み:くさづたう あさのほたるよ みじかかる われのいのちを しなしむなゆめ
歌の意味と現代語訳
草の葉に動いている朝の蛍よ その蛍と同じように短い私の命をゆめゆめ死なせることのないように
出典
『あらたま』大正3年 7 朝の蛍
歌の語句
- づたふ・・・つたう 葉に沿って動くの意味
- みじかかる・・・形容詞「短し」の活用 カリ活用と呼ばれる
- 死なしむ・・・「~させる」の使役 「死なせる」
- ゆめ・・・「ゆめゆめ」と同じ。「けっして」の意味の文語。
「ゆめ」のみで、「ゆめ忘るな」「ゆめ驚くことなかれ」など、多く否定の文中に用いる
表現技法
・2句切れ
・「ゆめ死なしむな」の「ゆめ」を倒置で結句に置き、念を押す印象を残す
鑑賞と解釈
歌集『あらたま』。その後、自選短歌集『朝の蛍』のタイトルとして作者自らが選んでいる。
自らの命のはかなさ
蛍の命は5日とも7日とも言われるため、「はかないもの」のたとえに使われることが多く、その蛍と自分を同じように見て、命の短さをはかなみつつ、「死なしむな」と呼び掛ける。
この時作者は32歳であるが、「存在の不安感が人一倍深かった」と言われるように、なぜか自らを短命であると思い込んでいたようだ。
その自らの命に対する祈りのようなものが、敬虔に謙虚に表されている。
一連の背景にある斎藤茂吉の結婚
作者はこの年の4月に結婚したとされるが、一連中に「靴下のやぶれ」を詠ったものもあり、新妻との交流が十分でなかったこともうかがえる。
一連の他の歌も哀しいトーンのものが多く、長年期待してやっと果たした成婚が、作者の思ったような変化をもたらさなかったのかもしれない。
そのような境涯が、歌集『あらたま』の一つの主題となっている。
呼びかけの相手
「死なしむな」と呼び掛けている相手は、下の自解によると「蛍」そのものとなるが、塚本は蛍以外の「造物主」を否定しつつも示唆している。
なお、作者は「朝の蛍」との題名で後に自選歌集を出しており、この歌を気に入っていたようだ。
斎藤茂吉の自註
朝草の上に、首の赤い蛍が歩いている。夜光る蛍とは別様にやはりあわれなものである。
ああ朝の蛍よ、汝とても短い運命の持ち主であろうが、私もまた所詮短命者の列から免れがたいものである。
されば、汝と相見るこの私の命をさしあたって死なしめてはならぬ(活かしてほしい)というぐらいの歌である。斎藤茂吉著『作歌四十年』より)
佐藤佐太郎の解説
「われのいのちを死なしむなゆめ」は作者のいう通り、蛍に呼びかけた言葉であるが、蛍をも作者をもこめて、第三の絶対者に向かった言葉としてひびいいている。
直感的に単純であるべき抒情詩だからこういう飛躍と省略がまたあるので、意味合いの合理性のみをもとめるとしたら、こういう歌は作れないし、また味わうこともできないだろう。
ここに流れている、無限の哀韻だけを受け取るべきである。
「茂吉秀歌」佐藤佐太郎
一連の歌
7 朝の蛍
足乳根の母に連れられ川越えし田越えしこともありにけむもの
草づたふ朝の蛍よみじかかるわれのいのちを死なしむなゆめ
朝どりの朝立つわれの靴下のやぶれもさびし夏さりにけり
こころ妻まだうらわかく戸をあけて月は紅しといひにけるかも
わくらはに生(あ)れこしわれと思へども妻なればとてあひ寝るらむか
ぎぼうしゅの葉のひろごりに日(け)ならべし梅雨(さみだれ)晴れて暑しこのごろ
代々木野をむらがり走る汗馬(あせうま)をかなしと思ふ夏さりにけり
みじかかるこの世を経むとうらがなし女(おみな)の連れのありといふかも
*この歌の次の歌
ゆふされば大根の葉にふる時雨いたく寂しく降りにけるかも『あらたま』