うらうらと天(てん)に雲雀は啼きのぼり雪斑(はだ)らなる山に雲ゐず
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から其の3の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。
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※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
うらうらと天に雲雀は啼きのぼり雪斑らなる山に雲いず
現代語での読み:うらうらと てんにひばりは なきのぼり くもはだらなる やまにくもいず
作者と出典
斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の3 13首目の歌
現代語訳
うららかにも雲雀が鳴きながら登っていく空には雲がまだらにの起こっており、山の方には雲がいない
歌の語句
・うらうらと…日ざしが明るく穏やかな様子
・はだらなる…形容動詞 雪などが不規則に濃淡になっているさま
・いず…いる+打消しの助動詞「ず」
句切れと表現技法
- 句切れなし
解釈と鑑賞
歌集『赤光』の其の3 13首目の歌。
大伴家持の春愁三首のうちの「うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば」が背景にあると思われる。
一転して、屋外の朝の場面となった感じがある。
明るい朝の光の中で、母の葬儀を終えたあとの虚脱した感情と幾分かの安心が交錯している。
「雪斑らなる山」は、初夏の蔵王の山の描写だが、「雲いず」はやはり、母がいないことを暗示する。
なお、「うらうらと」は本来、大気の状態を表す言葉だが、ここでは、雲雀を修飾する言葉となっている。
一連の歌
ひた心目守(まも)らんものかほの赤くのぼるけむりのその煙はや
灰のなかに母をひろへり朝日子(あさひこ)ののぼるがなかに母をひろへり
蕗の葉に丁寧にあつめし骨くづもみな骨瓶(こつがめ)に入れしまひけり