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蔵王山に斑ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨ゆきにけり「死にたまふ母」斎藤茂吉『赤光』

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蔵王山(ざわうさん)に斑(はだ)ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨(そば)ゆきにけり

斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」其の4の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。あ

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斎藤茂吉の記事案内

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「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。

※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。

蔵王山に斑ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨ゆきにけり

現代語での読み:ざおうさんに はだらゆきかも かがやくと ゆうさりくれば そわゆきにけり

作者と出典

斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の4 15首目の歌

現代語訳

蔵王山にまだらに残っている雪が輝いているのが見えるかと思い、夕方になれば坂を上っていたのであったよ

歌の語句

・蔵王山・・・読みは「ざおうさん」

・はだら・・・「まだら」に同じ

・かも・・・「か」「も」は疑問の助詞と強意の助詞

・夕さりくれば・・・「ゆうされば」に「来」の連用形を加えたもの

・岨・・・読みは「そわ」。急な坂、崖のこと

句切れと表現技法

・句切れなし




解釈と鑑賞

歌集『赤光』「死にたまふ母」の其4の15首目の歌。

作者茂吉は母の火葬の後、蔵王山の高湯温泉の旅館に滞在。

その際の散策の時のことであろうと思われる。

一首の情景

季節は春で雪は蔵王山にわずかに残っている程度。

その残雪を夕陽が照らすところが見られるかもしれないと思い、夕刻に出かけたのであろうと思われる。

『斎藤茂吉 異形の短歌』の解説だと

「その景色が見えたと言わないのは、期待外れに終わったことを思われます」

と推測されている。

ただし、「斑ら雪かもかがやくと」で雪が日に照る様子が提示されていると言える。

蔵王山「父なる山」

蔵王山は山形出身の斎藤茂吉にとって幼年時代に親しんだ山であり、故郷を象徴する事物であった。

作者の幼年期を外から表す言葉に「蔵王の山を父として育った」という表現もある。

蔵王山の場所

一連の歌

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