斎藤茂吉の初詣の初詣のエピソードが朝日新聞の天声人語欄に紹介されました。
きょうの日めくり短歌は斎藤茂吉の初詣の短歌をご紹介します。
斎藤茂吉の記事案内
歌人斎藤茂吉については
斎藤茂吉 三時代を生きた「歌聖」
斎藤茂吉の短歌一覧、円熟期の白桃以降です
斎藤茂吉と初詣
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斎藤茂吉は、山形県の上山市生まれ。
初詣といっても、近くの神社に出かけていくといったものではなく、茂吉が15歳になった時、父親が出羽三山の一つである湯殿山まで3日もの行程をかけて連れて行くというたいへんなものでした。
その日が近づくと冷たい水を毎朝浴び、魚も虫も殺さないように努める。父と一緒に2日がかりで歩いて、山岳信仰の地へ向かう。―天声人語より
そして、雨と風に笠を飛ばされてしまったり、凍った谷を滑り落ちそうになって、氷の上に腹ばいになって進むというようなものです。
なぜ、そうまでしてお参りをしたかというと、15歳になった子どもを親が連れて行くところに、信仰心と共に一種のイニシエーションのような意味合いがあったのではないでしょうか。
斎藤茂吉の初詣の短歌
この時は、茂吉15歳、まだ歌を初めていない頃なので、歌はありません。
三山の初詣の短歌は、昭和5年に15歳になった息子茂太を連れて行ったものが、歌集「たかはら」の30首を越える連作となっています。
雪谿(ゆきだに)にあかき蜻蛉
月山の登山ぐちに草鞋ぬぎ雨一日降り夕ぐれにけり
夏ふけし山のやどりは電燈に螢飛びくるも心しづけく
東京生まれの息子の茂太に、山や森の知識を伝授する場面も見られます。
ほどちかき森の中より聞こえくる鶫のこゑをわが子に教ふ
ほほの木の実はじめて見たる少年に暫しは足をとどめて見しむ
この茂太とは、精神科医のモタさんこと、斎藤茂太さんのことです。
その弟が、作家の北杜夫さんです。
いよいよ初詣の場面。同行者は弟の高橋四郎兵衛でした
ほのぐらきゆふまぐれどきわれ等四人は神のみ前に近づきゆきつ
ちはやぶる神ゐたまひてみ湯の湧く湯殿の山を語ることなし
「湯殿の山を語ることなし」というのは、山に登った人はみだりに神聖な山の様子を口外してはいけないという慣習があったようです。
そして宿泊時の様子
あまつ日はやうやく低く疲れたるわが子励まし湯殿へくだる
わが子にも塩をもて歯を磨かしむ山谷の底に夜は明けつつ
47歳で出羽三山を参拝
斎藤茂吉単身ではその2年前、昭和3年7月に、47歳で出羽三山を参拝しています。
その時の短歌代表作は
わが父も母もなかりし頃よりぞ湯殿のやまに湯は湧きたまふ
常ならぬものにもあるか月山のうへにけむりをあげて雪とくる見ゆ
解説記事:
わが父も母もなかりし頃よりぞ湯殿のやまに湯は湧きたまふ 斎藤茂吉の温泉の短歌
斎藤茂吉が生涯に詠んだ三山の歌は178首とあると言われています。
きょうの日めくり短歌は、斎藤茂吉の出羽三山初詣の短歌をご紹介しました。
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