うちひさす都の夜にともる灯のあかきを見つつこころ落ちゐず
斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から主要な代表歌の現代語訳付き解説と観賞を記します。
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「死にたまふ母」の全部の訳を一度に読むなら 斎藤茂吉 死にたまふ母其の1 からどうぞ。
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うちひさす都の夜にともる灯のあかきを見つつこころ落ちゐず
読み:うちひさす みやこのよるに ともるひの あかきをみつつ こころおちいず
現代語訳
都の夜に点る明りの明るいのを見ながら、心は落ち着かない
出典
『赤光』 「死にたまふ母」 其の1
歌の語句
- うちひさす 「打ち日さす」 日の光が輝く意から「宮」「都」にかかる枕詞。
- あかき・・・ 「あかし」には、「赤い」という意味での「赤し」と、明るいという意味での「明かし」の両方とがあるが、この場合は、後者の都会の明るさの方。
- 落ちいる・・・ 「気持ちが落ち着く。心が静まる」の意味
- なお、初版の4、5句は「あかかりければいそぐなりけり」
- 茂吉が住んでいたのは東京であるので、「都」は東京を発つ時のことを差すと思われる。
句切れと表現技法
- 句切れなし
- 「うちひさす」は枕詞。枕詞はすべて万葉語と呼ばれ、万葉集に用例がある言葉をいう。
解釈と鑑賞
歌集『赤光』の中の一首。「其の一」の4首目。
母の住む故郷への汽車に乗ろうと駅までを急ぐ場面。
→「死にたまふ母」連作のあらすじを知って理解を深めよう
作者は東京に住んでいて、上野駅に急ぐまでのことを指す。
初版の歌の方が意味が鮮明
初版では、この歌の下句「赤きを見つつ心落ちいず」は「あかかりければいそぐなりけり」で、「都に灯がともり始める夜になったのでより一層急がれる気持ちになったの意味であった。
一連の最初には、「ひろき葉は樹にひるがへり光りつつ」「白ふぢの垂花ちれば」と昼間の景色がうたわれる。
この歌の一つ前が、みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる であり、二つを併記すると、「急ぐ」気持ちが、都の明かりの点灯によって焦燥が増したことが鮮明になっている。
みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる
うちひさす都の夜にともる灯のあかかりければいそぐなりけり
そのため、改選版のこの歌においても、「あかきを見つつ」は、できるだけ早く着こうと思っても、「都に明かりがともる夜になった」ことを踏まえて理解すべきだろう。
なお、この歌の後には、この歌のバリエーションとも言うべき「灯あかき都をいでてゆく姿かりそめの旅と人見るらんか」がある。
「あかかりければ」の因果関係
品田悦一の一首評
品田悦一はこの歌の解説で「急ぐ理由を夜になったからとせず夜が明るかったからとした点が異常」(『異形の短歌』)と述べ、塚本邦雄も、上の指摘と同様に
都の灯の「あかかりければ」は「悲報来」の煙草火と軌を一にする強引な因果関係設定で独特の響きを生んでいる。
と解説。
上の、悲報来の煙草火の歌というのはこちら
氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり 斎藤茂吉
一連の歌
みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる
うちひさす都の夜(よる)にともる灯(ひ)のあかきを見つつこころ落ちゐず
ははが目を一目を見んと急ぎたるわが額(ぬか)のへに汗いでにけり
灯(ともし)あかき都をいでてゆく姿かりそめの旅と人見るらんか
たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや
吾妻(あづま)やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり
朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車走るなり
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