山腹にとほく燃ゆる火あかあかと煙はうごくかなしかれども斎藤茂吉の歌集『赤光』「死にたまふ母」から其の4の短歌に現代語訳付き解説と観賞を記します。
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「死にたまふ母」の全部の短歌は別ページ「死にたまふ母」全59首の方にあります。
※斎藤茂吉の生涯と代表作短歌は下の記事に時間順に配列しています。
山腹にとほく燃ゆる火あかあかと煙はうごくかなしかれども
現代語での読み:やまはらに とおくもゆるひ あかあかと けむりはうごく かなしかれども
作者と出典
斎藤茂吉『赤光』「死にたまふ母」 其の4 11首目の歌
現代語訳
山の中腹に遠く燃えている火が赤々と動いているのが見える かなしいけれども
歌の語句
・山腹…山の中央山頂とふもととの中間。山の中腹
・燃ゆる…基本形「燃ゆ」の連体形
・ども…接続助詞 〔逆接の確定条件〕「…けれども。…のに。… だが」の意味
句切れと表現技法
・2句切れ
・倒置
解釈と鑑賞
歌集『赤光』「死にたまふ母」の其4の11首目の歌。
作者茂吉は母の火葬の後、蔵王山の高湯温泉の旅館に滞在して帰京した。
温泉に過ごす間に山の谷に見える火の赤い色から、一首前の歌 はるけくも峽のやまに燃ゆる火のくれなゐと我が母と悲しき に続いて母を連想する場面。
初版の順番との違い
初版ではこの歌は前の「はるけくも峽のやまに燃ゆる火のくれなゐと我が母と悲しき」と順番が入れ替わっている。
※順番について詳しくは前の記事に
はるけくも峽のやまに燃ゆる火のくれなゐと我が母と悲しき「死にたまふ母」斎藤茂吉『赤光』
母の火葬の炎を連想
温泉を尋ねて上ってきた山腹の炎と煙に目が留まったのは、母の火葬の葬の時の火の色が作者によみがえったためであろう。
星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり
さ夜ふかく母を葬(はふ)りの火を見ればただ赤くもぞ燃えにけるかも
「山腹にとほく燃ゆる火」
歌の順番が変更された他に、初版では「山腹にとほく燃ゆる火」は「山腹に燃ゆる火なれば」となっていた。
つまり、「山腹に燃えているので赤々と炎が動いている」というのだが、上のように訂正されている。
さらに、初版では「赤々と動く」の作者の独特な用法も指摘されている。
おそらく、屋外で風の吹く山のことであるからその炎が風にあおられて動きがあるということを作者は言いたかったのではないだろうか。
結句「かなしかれども」の意味
結句は倒置の「かなしかれども」なのだが、なぜ「ども」の逆接の確定条件となるのだろうか。
さらに、その赤い光がきれいなので見とれているのだが、もちろんそこには母の火葬の連想も働いている。
炎に気を取られて魅力を感じているのはもちろんその炎は、今母の火葬をしているものではないからである。
しかし、そのことを思い出すと「悲しけれども(炎の赤が目を引くのでそこに自然に目が行ってしまう」ということなのだろうと推測する。
他に「命のない煙が赤々と、生き物のように動く」(『異形の短歌』)ことから、母の命が既にないことを連想⒮チアという説もある。
赤に関連しては、「氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり」の歌がある。
上の歌は、師の伊藤左千夫が急死の知らせを受けて驚いて駆けつける場面だが、そこでも炎が「赤かったので見て」しかし、人の生死にかかわる急ぎの時なので「走りたり」と続けている。
そのような時でも「赤かりければ」なのであれば、上記の赤い炎への関心と「かなしかれども」が並列する表現も不思議ではないかもしれない。
おそらく作者は山を散策しながら温泉に上っていく途中にしばらく目を止めて眺めていたのであったかもしれない。
蔵王山の場所
一連の歌
はるけくも峽(はざま)のやまに燃ゆる火のくれなゐと我(あ)が母と悲しき