斎藤茂吉の第二歌集『あらたま』の中の短歌の代表作です。
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ふり灑(そそ)ぐあまつひかりに目の見えぬ黒き蛼(いとど)を追ひつめにけり
いきどほろしきこの身もつひに黙しつつ入日のなかに無花果を食む
秋づける代々木の原の日のにほひ馬は遠くもなりにけるかも
かなしみて心和ぎ来むえにしあり通りすがひし農夫妻はや
まかがよふひかりたむろに蜻蛉(あきつ)らがほしいままなる飛(とび)のさやけさ
松風が吹きゐたりけり松はらの小道をのぼり童女と行けば
ほのぼのと諸国修行に行くこころ遠松かぜも聞くべかりけり
父母所生(ふもしょじょう)の眼ひらきて一いろの暗きを見たり遠き松風
ともしびの心をほそめて松はらのしづかなる家にまなこつむりぬ
目をとぢて二人さびしくかうかうと行く松風の音をこそ聞け
松ばらにふたり目ざめて鳥がなく東土(とうど)の海のあけぼのを見つ
東海の渚に立てば朝日子はわがをとめごの額を照らす
しんしんと雪降る中にたたずめる馬の眼はまたたきにけり
電車とまるここは青山三丁目染屋(そめや)の紺に雪ふり消居り
侏儒(こびと)ひとり陣羽織きて行きにけり行方(ゆくへ)に春のつちげむり立つ
さにづらふ少女(をとめ)の歎(なげき)もものものし人さびせざるこがらしの音
赤光のなかに染まりて帰りくる農婦のをみな草負へりけり
なげかざる女のまなこ直(ただ)さびし電燈のもとに湯はたぎるなり
橡(とち)の太樹(ふとき)をいま吹きとほる五月(さつき)かぜ嫩葉(わかば)たふとく諸向(もろむ)きにけり
朝ゆけば朝森うごき夕くれば夕森うごく見とも悔いめや
しまし我は目をつむりなむ真日おちて鴉ねむりに行くこゑきこゆ
きちがひの遊歩がへりのむらがりのひとり掌(て)を合す水に向きつつ
足乳根の母に連れられ川越えし田越えしこともありにけむもの
朝どりの朝立つわれの靴下のやぶれもさびし夏さりにけり
こころ妻まだうらわかく戸をあけて月は紅しといひにけるかも
わくらはに生(あ)れこしわれと思へども妻なればとてあひ寝るらむか
みじかかるこの世を経むとうらがなし女(おみな)の連れのありといふかも
われ起きてあはれといひぬとどろける疾風(はやち)のなかに蝉は鳴かざり
向日葵は諸伏しゐたりひた吹きに疾風ふき過ぎし方にむかひて
熱いでて臥しつつ思ふかかる日に言よせ妻は何をいふらむ
ふくらめる陸稲(おかぼ)ばたけに人はゐずあめなるや日のひかり澄みつつ
ありがたや玉蜀黍(たうきび)の実のものものもみな紅毛をいただきにけり
あかあかと南瓜ころがりゐたりけりむかうの道を農夫はかへる
ゆふづくと南瓜ばたけに漂へるあかき遊光に礙りあらずも
うつつなるわらべ専念あそぶこゑ巌の陰よりのびあがり見つ
妻とふたり命まもりて海つべに直(ただ)つつましく魚(いを)くひにけり
さんごじゆの大樹(だいじゆ)のうへを行く鴉南なぎさに低くなりつも
しろがねの雨わたつみに輝(て)りけむり漕ぎたみ遠きふたり舟びと
海岸にひとりの童子泣きにけりたらちねの母いづくを来らむ
いちめんにふくらみ円(まろ)き粟畑を潮ふきあげし疾(はや)かぜとほる
入日には金の真砂の揺られくる小磯の波に足をぬらす
旅を来てひそかに心の澄むものは一樹のかげの蒟蒻ぐさのたま
山ふかく遊行をしたり仮初のものとなおもひ山は邃(ふか)しも
かんかんと橡の太樹の立てらくを背向(そがひ)にしつつわれぞ歩める
ふゆ腹に絵をかく男ひとり来て動くけむりをかきはじめたり
ふゆ空に虹の立つこそやさしけれ角兵衛童子坂のぼりつつ
くれなゐの獅子をかうべにもつ童子もんどり打ちてあはれなるかも
あが母の吾(あ)を生ましけむうらわかきかなしき力おもはざらめや
あわ雪のながれふる夜のさ夜ふけてつま問ふ君を我は嬉しむ
こらへゐし我のまなこに涙たまる一つの息の朝雉のこゑ
尊とかりけりこのよの暁に雉子(きぎす)ひといきに悔しみ啼けり
たらたらと漆の木より漆垂りものいふは憂き夏さりにけり
眉ながき漁師のこゑのふとぶとと泊(は)てたる舟にものいひにけり
いばらきの浜街道に眠りゐる洋傘(かうもり)売りを寂しくおもふ
おのづからあらはれ迫る冬山にしぐれの雨の降りにけるかも(ここから冬の山「祖母」)
ものの行(ゆき)とどまらめやも山峡(やまかひ)の杉のたいぼくの寒さのひびき
まなかひにあかはだかなる冬のしぐれに濡れてちかづく吾を
いのちをはりて眼をとぢし祖母(おほはは)の足にかすかなる皹のさびしさ
命たえし祖母(おほば)の頭(かうべ)剃りたまふ父を囲みしうからの目のなみだ
蝋の火のひかりに赤しおほははの棺の上の太刀鞘(ざや)のいろ
朝あけて父のかたはらに食す飯(いひ)ゆ立つ白気(しらいき)も寂しみて食す
日の入のあわただしもよ洋燈(らんぷ)つりて心がなしく納豆を食む
おほははのつひの葬り火田の畔(くろ)にいとども鳴かぬ霜夜はふり火
ここに来てこころいたいたしまなかひに迫れる山に雪つもる見ゆ
いただきは雪かもみだる真日くれてはざまの村に人はねむりぬ
山がはのたぎちの響みとどまらぬわぎへの里に父老いにけり
はざまなる杉の大樹(だいじゅ)の下闇にゆふこがらしは葉おとしやまず
あしびきの山のはざまに幽かなる馬うづまりて霧たちのぼる
棺のまへに蝋の火をつづ夜さむく一番どりはなきそめにけり
おほははのつひの命にあはずして霜深き国に二夜ねむりぬ
せまりくる寒さに堪へて冬山の山ひだにいま陽の照るを見つ
きのこ汁くひつつおもふ祖母の乳房にすがりて我(あ)はねむりけむ
山峡(やまがひ)にありのままなる道の霜きえゆくらむかこのしづけさに
-- 「祖母」ここまで
しらぬひの筑紫のはまの夜さむく命かなしとしはぶきにけむ
うつしみはかなしきものか一つ樹をひたに寂しく思ひけるかも
うつつなるほろびの迅(はや)さひとたびは目ざめし鷄(かけ)もねむりたるらむ
あまがへる啼きこそいづれ照りとほる五月の小野(おぬ)の青きなかより
橡の樹も今くれかかる曇日の七月八日ひぐらしは鳴く
卓の下に蚊遣の香(こう)を焚きながら人ねむらせむ処方書きたり
苦しさに叫びあげけむ故人(なきひと)の古りたる写真けふ見つるかも 子規忌一首
この夜半にわれにかなしき土のみづつきつめてわれ物思はざらむ
かかる夜にひと怨みむは悲しかり痛き心をひとりまもらむ
この日頃ひとり籠りゐ食む飯(いひ)も二食(にじき)となりて足らふ寂しさ
もの投げてこゑをあげたるをさなごをこころ虚しくわれは見がたし
をさなごは畳のうへに立ちて居りこの幼子は立ちそめにけり
むらぎもの心はりつめしましくは幻覚をもつをとこにたいす
いらだたしもよ朝の電車に乗りあへるひとのことごと罪なきごとし
晩夏のひかりしみとほる見附したむきむきに電車停電し居り
しづかなる午後の日ざかりを行きし牛坂のなかばを今しあゆめる
あわただし明暮夜(あけくれよは)のめぐりさへ言問わぬかなや青き馬追
やまみづのたぎつ峡間に光さし大きいしただにむらがり居れり
かみな月十日山べを行きしかば虹あらはれぬ山の峡より
暗谷(くらだに)の流の上(かみ)を尋(と)めしかばあはれひとところ谷の明るさ
この世のものと思へど遥にてこだま相とよむ谿に来にけり
いにしへの碓氷峠(うすひたうげ)ののぼり路(ぢ)にわれを恐れて飛ぶ小鳥あり
あはれあはれここは肥前の長崎か唐寺のゐらかにふる寒き雨
朝あけて船より鳴れる太笛(ふとぶえ)のこだまはながし並みよろふ山
※斎藤茂吉については
斎藤茂吉 三時代を生きた「歌聖」