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橘咲の遺歌集「篝火」桜井琢巳評論集「夕暮れから曙へ」より

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たまたま手に取った本に、橘咲という歌人がいたことを知った。

雌蝉(しせん)あをき灼熱地獄 声あらず恋ほしいまま刺刺薊(とげとげあざみ)
死ぬまでの刻をみづからの洞に蓄へて空あれば飛ぶ鳥仰ぐなり
うすき怖れを抱くものを春の鳥とやはらかく愛告げてしまえり

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桜井琢巳の評論集「夕暮れから曙へ」

この人のことはほとんど知られていないようだが、同郷の詩人桜井琢巳の評論集「夕暮れから曙へ」を読む機会があって、その冒頭に書かれていたものである。

櫻井琢巳と「夕暮れから曙へ」の紹介記事

橘咲経歴       

橘咲は筆名。1954年生まれ。立命館卒、1985年から89年まで「未来」に投稿。河野愛子に師事。35才で自死した夭折の歌人。

遺歌集「篝火」

下に遺歌集「篝火」その他よりの作品を書いておく。

もはや逢ふことなき君と決めてゐてみづみづと戦(そよ)ぐわが思ひ草
詩を捨てし君か知らねどわが舟は海の怖さをかすか知り初む
君を得て君喪ひしかの日より茜重たくわが裡を充たす
真愛(まがな)しく生きて在る身を悲しまむ仕舞湯に豊かならぬ肉(しし)置き
軽羅(けいら)纏うがごとく思想をまとひゆく友等に峙(そばた)ち わが冬のカノン
卯の花腐し・卯の花曇り・卯の花月夜さらさらと羞(やさ)しさ零れて四月
風光る野の上は吾(わ)を呼ぶ声もなし遅れて生くることの恥(やさ)しさ
おほにしてレンギョウの黄の眸に残る路地結界の踏み越えがたき
髪に雪被きて祖母は佇ちをりぬ消えざる雪を歳月と呼ぶ
我を許すこころしづかなる日には〈刻〉の費えの紅うすく引く
あれちのぎく程の反乱抱かれてなほし憎むと告げやらましを
受粉否む雌芯(しずい)のごとく張りつめむ霹靂はただ〈北〉てふ語より
戦烈に我たる記憶欲しき日ぞ幾本もいくほんも黒き向日葵を描く
耳立てて我にさへわが狎るるなき夜はまた語を月の林に匿う
髭持たぬ性を我からかなしみきいま群青の海に対きゐて
つきつめて吾が存念を問ふごとき羞明の月と君を呼ばなむ
いのちにはいのち逝かしめ思ふかな限りの空を見よ鳥が翔ぶ
フランシス・ジャムの詩に在る情景を抛(なげう)ちて長き髪剪りにゆく
落ちて来る雨を一閃の刃とし研ぐ茅草奔春を待たなむ
ドクダミの黄花…欲情煽りつつ詩集ひらけば中也とふ闇
絶対を母たれば持つ母と居て不穏の火種くすぶり易し
灯の下は雨はも潤びて降りてゐむ身の内に卵抱きて眠れぬ
手の甲に浮く静脈を寂しめばつばらかに春の河か澄みたる
良く切るる刃物使へば れてゆく思ひのありぬわが血重たし
出奔を出帆と言ひ笑ふなればわが暗がりに傾ぐ船ある
鳥はつぶて刻はつぶてと思ふときつぶてならざる吾が立ちてゐる
鬼薊鬼百合異端の鬼花のひとつか我も闇を匂へる
齟齬を齟齬としうべなひて母と語るとき夢は林檎のあをき切り口
生のことはいづれ幻 花どきの長きを供華にと選る暇にて
黄泉に目を開くごとき朝花曇り今年の花をまた見てしまひぬ
浄福の思想もつぎに持たざり身に焚くこゑのさむききさらぎ
葱の白き茎洗ひゐて意地つよき我に執する生(いき)は晒さぬ

未発表作品
秘匿めきて桃一顆あり軀のうちにツルゲーネフも咲かせてしまふ
よろこびに肉がともなふとき素早く蔑する己れあり侮られずき
死者の焚く篝火ほう、ほう、ほうたる来いわたしの凛さにお前は相応ふ
羽搏きて羽搏くものは我に親し確かにきのふ鳥と呼ばれき
鳥、雲に入りぬ。束の間たましひの隠れもあらぬ明るさにゐて
くれなゐの眉ある葩と思ふなり薔薇の上(へ)にあかときやみが解(ほど)くる
万葉集を手に朝焼けの坂をゆく青春に支線持たざるの悔
たかぶりて束の間もがく空の禽 地の禽は己疑はず歩く
花柄となってはじめて艶(なま)めくようなトリビアリズムにシャツを洗はう
或る日のわがプロフィール柚子のにほふ手のひらを明るく君に降りしことさへ

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