
佐藤佐太郎は、斎藤茂吉を師に短歌を学んだアララギ系の歌人、純粋短歌を提唱、身辺詠にて独自の叙情を貫きました。
佐藤佐太郎の短歌の代表作をご紹介します。
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佐藤佐太郎の短歌代表作
佐藤佐太郎は、宮城県生まれのアララギの歌人、斎藤茂吉を師に学び、のちに短歌の結社『歩道』を設立、指導者としても活躍しました。
生涯を茂吉と共に過ごし、斎藤茂吉のもっとも的確で優れた解説『茂吉秀歌』を記しています。
- 佐藤佐太郎(さとうさたろう)
- 生誕:1909年(明治42年)11月13日 - 1987年(昭和62年)8月8日)
- 出身:宮城県柴田郡大河原町
- 代表的歌集:「歩道」「しろたへ」「立房」「帰潮」「地表」「群丘」他、
- 受賞歴:読売文学賞 現代短歌大賞 迢空賞 勲四等旭日小綬章他
佐藤佐太郎の短歌の特徴
佐藤佐太郎の短歌の特徴は、斎藤茂吉と共に所属するアララギの写生に根差しながらも、それまでの歌人にはなかった近代的な感性による繊細さ、感受性の鋭さにあります。
そして、題材も身辺詠という以上に、歩道や電車、植物など目に見える事物中心にあえて限定したところも、他の歌人にはない特徴的なところです。
全体的にメランコリックな歌が多いのは、佐太郎の気質によるものと、貧しかった生活状況が影響したのかもしれません。
佐太郎の言葉によると
私の歌には事件的具体といふものは無い。短歌はさういふものを必要としないからである。
目立つ表現を一切取らず、淡々と奇抜に走ることもなく、禁欲的なまでに一つのジャンルを突き詰めたところに佐太郎の短歌があります。
「純粋短歌」の提唱
佐藤佐太郎はこれらの姿勢を踏まえ、『純粋短歌論』を記し、「純粋短歌」という概念を提唱しました。
佐太郎のいう純粋短歌はおおむね下のようなところに集約されます。
感情生活の中から詩的感動を限定し、それを五句三十一音の形式に限定するのである。(略)発見は体験そのものの声として響いているのでなければならない。(略)詠嘆とは直観像を言葉に映す過程をいうので、短歌は五句三十一音の形式に、感動そのものを詠嘆として限定するものである。―https://blue.ap.teacup.com/tanka/372.html
他にも
短歌は抒情詩であり、抒情詩は端的にいへば詩である。短歌の純粋性を追尋するのは、短歌の特殊性を強調するのではなくて、短歌の詩への純粋還帰を指向する―『純粋短歌』(昭和二十八年[一九五三年])
佐藤佐太郎の短歌代表作
佐藤佐太郎自身の歌集は『歩道』『帰潮』をはじめとする13冊、6620首があり、短歌代表作としては、下のような作品がよく知られています。
夕光(ゆふかげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は輝(かがや)きを垂る
桃の葉はいのりの如く葉を垂れて輝く庭にみゆる折ふし
秋分の日の電車にて床にさす光とともに運ばれて行く
あぢさゐの藍(あゐ)のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼
冬の日の眼(め)に満つる海あるときは一つの波に海はかくるる
1首目は、夕方の低い光の中のしだれ桜の輝きに着目して詠んだ歌。
2首目は、桃の葉の形状を「いのりの如く」と形容、敬虔な思いが漂います
電車の中の風景を詠んだ3首目も「光」に着目、4首目の紫陽花は夜昼同じ美しさをもって咲き続ける。
下句の枕詞の連続が斬新な印象を与える一首です。
見たままの海を詠う5首目。人と海の大きさの対比が表されます。
佐藤佐太郎の秀歌
岩波書店刊『佐藤佐太全集』で秋葉四郎のあげている秀歌は以下の通りです。重複があります、そのまま掲載します。読み注筆者。
第1歌集『軽風』より
炭つげば木の葉けぶりてゐたりけりうら寒くして今日も暮れつる
自らを省みるほどのしずけさや杉生の外に日は沈むなり
赤松の十四五本もありぬべし故里しぬび我は来にしか
朝空の時雨ふるさへ寂しきに人の心をわれは思ふも
人々にわれは言はねど暁の寒さにひえて起くる朝多し
消防自動車の音すぎてより風強き大川に町の音は聞こえず
日ざかりの街に出づれば太陽は避雷針の上にいたく小さし
デパアトの食堂の窓に川蒸気のわへぎりもなき音ぞきこゆる
第2歌集『歩道』より
写生の徹底として
砥の色の裏の空地を見つつをり寒くしなりぬあらがねの土 (読み注:「と」)
とどまらぬ時としおもひ過去は音なき谷に似つつ悲しむ(読み:すぎゆき)
夢にくる悦楽すらや現実にある程度にてやがて目覚むる
秀歌として
朝のまの土かたき原たもとほり歩みて来れば霜笹にあり
雪どけのことさらにして騒がしき日向のみちをあゆみ居りけり
をりをりの吾が幸よかなしみをともい交えて来りけらずや
鋭敏と独自な調子として
舗道には何も通らぬひとときが折々ありぬ硝子戸のそと
はなやかに轟くごとき夕焼はしばらくすれば遠くなりゆく
店頭に小豆大角豆など並べあり光がさせばみな美しく (読み:あずきささげ)
第3歌集『しろたへ』より
地下道を人群れてゆくおのおのは夕の雪にぬれし人の香
暁の降るさみだれやわが家はおもても裏も雨の音ぞする (読み:「と」)
静かなるしろき光は中空の月より来るあふぎて立てば
山葵田をやしなふ水は一谷にさわがしきまで音ぞきこゆる
寺庭はしろたべの砂きよくして苔ある石をひくく置きたり
しろたへの砂みえそむる暁に靄うごかして海中の波
めざめしはなま暖かき冬夜にてとめどなく海の湧く音ぞする
第4歌集『立房』より
あかあかと燃ゆる火中にさくといふ優曇鉢華をぞ一たび思ふ(読み:うどんげ)
なでしこの透きとほりたる紅が日の照る庭にみえて悲しも
青天をとほしてそそぐ光とも思ほえぬまで畑まばゆし
ことごとくしづかになりし山河は彼の飛行機の上より見えん
風はかく清くも吹くかものなべて虚しき跡にわれは立てれば
光りつつ低きくさむらにゐる蛍秋宵空を遊ばずなりぬ
霜どけのいまだ凍らぬゆふぐれに泪のごとき思ひこそ湧け
しみとほる雲の紫ゆふぐれの湖をおほひて一時こほし(洞爺湖)
人のなき古へのごと山ひびき天ひびきする原のはてのやま(昭和新山)
第5歌集『帰潮』より
佐藤佐太郎の代表作としてよく引用され、知られている歌は個の歌集に多く含まれる
苦しみて生きつつをれば枇杷の花終りて冬の後半となる
連結を終りしカ社はつぎつぎに伝わりてゆく連結の音
あじさいの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさる昼
桃の木はいのりの如く葉を垂れて輝く庭にみゆる折ふし
秋分の日の電車にて床にさす光もともに運ばれてゆく
佐藤佐太郎の他の短歌
とりかへしつかぬ時間を負ふ一人ミルクのなかの苺をつぶす
白藤の花にむらがる蜂の音あゆみさかりてその音はなし
珈琲を活力として飲む
ここの屋上より隅田川が見え家屋が見え舗道がその右に見ゆ
あらし凪ぎしのちの衢にとほくまで街路樹つづき低く見えおり
坂の上より吹きおろす風に向ひをり直ぐまぢかくを電車過ぎたり
日ざかりの街に出づれば太陽は避雷針の上にいたく小さし
草木のかがやく上に輝かがやきをしづめしづめてゐる空気見ゆ
おもむろにからだ現はれて水に浮く鯉は若葉の輝きを浴む
人間はみな柔らかに歩み居るビルデイング寒く舗道寒くして
秋の日のかぐはしくして水よりも浮萍うきくさひかる水のべをゆく
夏すぎし九月美しく道に踏む青の柳の葉黄の柳の葉
佐藤佐太郎の歌集他
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