斎藤茂吉の第6歌集『ともしび』の代表作品と、解説のある短歌の一覧です。
『ともしび』における代表作短歌で、解説済みである作品は下の通りです。
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斎藤茂吉短歌集「ともしび」
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『ともしび』における代表作短歌で、当ブログで解説済みである作品は下の通りです。
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斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉 三時代を生きた「歌聖」 をご覧ください。
『ともしび』斎藤茂吉の解説あり短歌
かへりこし家にあかつきのちやぶ台に火焔(ほのほ)の香する沢庵を食む
うつしみの吾がなかにあるくるしみは白ひげとなりてあらはるるなり
今日の日も夕ぐれざまとおもふとき首(かうべ)を垂れて我は居りにき
こもり波あをきがうへにうたかたの消えがてにして行くはさびしゑ
うごきゐし夜(よる)のしら雲のなくなりて高野(たかの)の山に月てりわたる
むかうより瀬のしらなみの激ちくる天龍川におりたちにけり
「ともしび」代表作品テキスト
斎藤茂吉の「ともしび」の代表作品テキストを抽出しました。年代順になっています。
それ以下の作品は順次追加していきます。
大正十四年 帰国
かへりこし日本(にほん)のくにのたかむらもあかき鳥居(とりゐ)もけふぞ身に沁(し)む
はるかなる山べのかすみ真(ま)ぢかくに竹の林の黄(き)なるしづかさ
火難
かへり来てせんすべもなし東京(とうきやう)のあらき空気(くうき)にわれは親(した)しむ
とどろきてすさまじき火をものがたる稚児(をさなご)のかうべわれは撫(な)でたり
やけのこれる家に家族(かぞく)があひよりて納豆餅(なつとうもちひ)くひにけり
やけあとのまづしきいへに朝々(あさあさ)に生きのこり啼(な)くにはとりのこゑ
焼あと
焼あとにわれは立ちたり日は暮れていのりも絶(た)えし空(むな)しさのはて
かへりこし家にあかつきのちやぶ台(だい)に火焔(ほのほ)の香(か)する沢庵(たくあん)を食(は)む
家いでてわれは来(こ)しとき渋谷(しぶや)川(がは)に卵のからがながれ居(ゐ)にけり
随縁近作
(焼けあとに湯をあみて、爪も剪りぬ)
うつせみの吾(あ)がなかにあるくるしみは白(しら)しげとなりてあらはるるなり
帰雁
ひとりこもれば何ごとにもあきらめて胡座(あぐら)をかけり夜(よる)ふけにつつ
行春のあめ
ここにもほそく萌(も)えにし羊歯(しだ)の芽(め)の渦葉(うづは)ひらきて行春(ゆくはる)のあめ
湯をあみてまなこつむればうつしみの人(ひと)の寂(さび)しきや命(いのち)さびしき
近江蓮華寺行
右中山道(なかせんだう)みちひだりながはま越前(ゑちぜん)みちとふ石じるしあはれ
山なかのみ寺しづかにゆふぐれて窿応上人(りゆうおうしやうにん)は病(や)みこやりたる
ひかりさす松山のべを越えしかば苔よりいづるみづを飲むなり
さ夜なかにめざむるときに物音(ものと)たえわれに涙(なみだ)のいづることあり
閑居吟 其一
Munchen(ミユンヘン)にわが居(を)りしとき夜(よる)ふけて陰(ほと)の白毛(しらげ)を切りて棄(す)てにき
午前二時ごろにてもありつらむ何か清々(すがすが)しき夢を見てゐし
閑居吟 其二
焼あとに迫(せま)りしげれる草むらにきのふもけふも雨は降りつつ
今日(けふ)の日(ひ)も夕ぐれざまとおもふとき首(かうべ)をたれて我は居(を)りにき
沙羅雙樹
いにしへも今のうつつも恋しくて沙羅雙樹(さらそうじゆ)のはな散りにけるか
も
白たへの沙羅(さら)の木(こ)の花(はな)くもり日のしづかなる庭に散りしきにけり
木曽山中
かなしかる願(ねがひ)をもちて人あゆむ黒沢口(くろさはぐち)の道のほそさよ
木曾鞍馬渓
あはれとぞ声をあげたる雪てりて茂山(しげやま)のひまに見えしたまゆら
こもり波あをきがうへにうたかたの消えがたえにしてゆくはさびしゑ
鶺鴒のあそべる見れば岩淵にほしいままにして隠ろふもあり
山がはのあふれみなぎる音にこそかなしき音は聞くべかりけれ
やまこえて細谷川(ほそたにがは)に住むといふ魚(うを)を食ふらむ旅のやどりに
木曽氷が瀬
さ夜(よ)ふけて慈悲心鳥(じひしんてう)のこゑ聞けば光にむかふこゑならなくに
霜
昭和元年(大正十五年)(2)
信濃路(しなのぢ)はあかつきのみち車前草(おほばこ)も黄色(きいろ)になりて霜がれにけり
国(くに)の秀(ほ)を我(われ)ゆきしかばひむがしの二つの山に雪ふりにけり
寒水(さむみづ)に幾千(いくせん)といふ鯉(こひ)の子(こ)のひそむを見つつ心なごまむ
桑の葉に霜の解(と)くるを見たりけりまたたくひまと思はざらめや
むかうより瀬のしらなみの激(たぎ)ちくる天竜川(てんりゆうがは)におりたちにけり
高遠
十一月八日信濃国高遠町に絵島の墓を弔ふ
あはれなる流されびとの手弱女(たわやめ)は媼(おうな)となりてここに果てにし
しろがねも黄金(こがね)も欲(ほ)しとおもふなよ胸のとどろきを今しづめつつ
たまきはる命をはりし後世(のちのよ)に砂(すな)に生(うま)れて我は居(を)るべし
昭和二年歳旦頌
くぐもりのさ霧がうへに寂(しづ)かなる光てるごとくあらしめたまへ
山房小歌
五月七日 一首
ぬばたまの夜(よる)にならむとするときに向ひの丘(をか)に雷(らい)ちかづきぬ
春のはだれ
昼すぎより吹雪(ふぶき)となりぬ直(す)ぐ消えむ春の斑雪(はだれ)とおもほゆれども
とどこほるいのちは寂(さび)しこのゆふべ粥(かゆ)をすすりて汗いでにけり
韮
南かぜ吹き居(を)るときに青々と灰のなかより韮萌(にらも)えにけり
童馬山房折々
澄江堂の主をとむらふ
壁(かべ)に来て草かげろふはすがり居(を)り透きとほりたる羽(はね)のかなしさ
古泉千樫君を弔ふ
よろこびて歩(あり)きしこともありたりし肉太(ししぶと)の師(し)のみぎりひだりに
大竜寺即事
寺なかのともりし白き電燈に蟷螂(かまきり)とべり羽(はね)をひろげて
永平寺吟
アララギ第四回安居会
大(おほ)き聖(ひじり)いましし山ゆながれくる水ゆたかにて心たぬしも
海をわたりて聖(ひじり)が負(お)ひし笈(おひ)見れば尊(たふと)くもあるかあはれ尊
(たふと)し
玲瓏巌
杉(すぎ)の秀(ほ)のうごくを見つついにしへの聖(ひじり)のあとに吾(われ)ぞ居
(を)りける
門外・帰途
ほのぐらき承陽殿(じようやうでん)のあかつきに石のたたみに額(ぬか)を伏したり
十国峠
音立てて茅(ち)がやなびける山のうへに秋(あき)の彼岸(ひがん)のひかり差(さ)し居(を)り
信濃行
くらがりをいでたる谷の細川は日向(ひなた)のところを流れ居(を)りにき
あたらしき馬糞(まぐそ)がありて朝けより日のくるるまで踏(ふ)むものもなし
はざまより空(そら)にひびかふ日すがらにわれは寂(さび)しゑ鳴沢(なるさは)のおと
山ふかき杉生(すぎふ)のなかにおちたまる杉の落葉(おちば)はいまだひろはず
山がひの空つたふ日よあるときは杉の根方(ねかた)まで光さしきぬ
石原(いしはら)の湧(わ)きいでし湯に鯉(こひ)飼(か)へり小さき鯉はここに育たむ
天竜川
峡(かひ)すぎて見えわたりたる石原(いしはら)に川風さむし日は照れれども
きはまりて晴れわたりたる冬の日の天竜川にたてる白波(しらなみ)
雨はれて寒きかぜ吹く山がはの常(つね)なき瀬々(せぜ)の音(おと)ぞきこゆる
天竜をこぎくだりゆく舟ありて淀(よど)ゆきしかば水の香(か)ぞする
妙高温泉
さむざむと時雨(しぐれ)は晴れて妙高(めうかう)の裾野(すその)をとほく紅葉(もみぢ)うつろふ (土屋文明君同行)
起伏(おきふし)は北へのびつつわたつみの海よりおこる山ひとつ見ず
道草(みちぐさ)のうごくを見れば妙高の山をおろしてこがらし吹きぬ
ゆき降れる襞(ひだ)も見えつつ今しまし山のうつろに雲うごくらし
妙高の裾野のなだり音ぞして木枯(こがらし)のかぜひくく過ぎつも
この日頃
ゆふぐれし机(つくゑ)のまへにひとり居(を)りて鰻(うなぎ)を食ふは楽(たぬ)しかりけり
北びさし音(おと)するばかり吹くかぜの寒きゆふべにわれ黙(もだ)しをり
折に触れつつ 昭和三年(1)
けさ揺(ゆ)りし地震(なゐ)のみなもとは金華山(きんくわざん)のひむがし南の沖にありとふ
うつし身は現身(うつしみ)ゆゑになげきつとおもふゆふべに降る寒(かん)のあめ
雪のうへに二月(にぐわつ)なかばに降る雨のしき降るときに心いらだたし
浅草をりをり
浅草のきさらぎ寒きゆふまぐれ石燈籠(いしどうろう)にねむる鷄(とり)あり
C病棟
おしなべてつひに貧(まづ)しく生きたりしものぐるひ等(ら)はここに起伏(おきふ)す
けさ揺(ゆ)りし地震(なゐ)のみなもとは金華山(きんくわざん)のひむがし南の沖にありとふ
うつし身は現身(うつしみ)ゆゑになげきつとおもふゆふべに降る寒(かん)のあめ
雪のうへに二月(にぐわつ)なかばに降る雨のしき降るときに心いらだたし