音立てて茅がやなびける山のうへに秋の彼岸のひかり差し居り 斎藤茂吉『ともしび』  

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音立てて茅がやなびける山のうへに秋の彼岸のひかり差し居り 斎藤茂吉『ともしび』

2020年12月9日

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音立てて茅がやなびける山のうへに秋の彼岸のひかり差し居り

斎藤茂吉『ともしび』から主要な代表作の短歌の解説と観賞です。

このページは現代語訳付きの方で、語の注解と「茂吉秀歌」から佐藤佐太郎の解釈も併記します。

斎藤茂吉がどんな歌人かは、斎藤茂吉の生涯と代表作短歌 特徴や作風「写生と実相観入」 をご覧ください。

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読み:おとたてて ちがやなびける やまのうえに あきのひがんの ひかりさしおり

歌の意味と現代語訳

風に音を立てて、茅がいっせいになびいている山の上に、秋彼岸のしずかな光が差している

歌集 出典

斎藤茂吉『ともしび』 昭和2年作

歌の語句

・音立てて…植物が音を立てる要因となる「風」が省略されている

・茅がや…イネ科の草 ススキに似たそれより低い草

・山…熱海の十国峠を指す

修辞・表現技法

・句切れなし

・3句は6文字で字余り

・「居り」は現在形

 

鑑賞と解釈

昭和2年作。

熱海の十国峠に滞在していた画家の平福百穂(ひらふくひゃくすい)を、アララギの高田浪吉と訪ねた折の歌。

十国峠は、木がなく茅の山と佐藤佐太郎が解説している。

木の影もない、平らな地形に、茅が一面に生えている。

木がないので、風も通りやすく、皆が同じ方向を向いてなびいている山というのが、上句の提示となっている。

そこに、茅の穂を照らすように、秋の彼岸の光が静かにさしている、その情景を詠んだもの。

何もない山の上に、ただ草むらと風、光だけがある眺めの静けさと平穏を、一枚の絵画のように伝えている歌となっている。

上句と下句「動」と「静」の対比

下に佐藤佐太郎が解説する鳥居、上の句には省略された「風」によって、植物が動いているが、、下の句は、その動きをも包むような光がうたわれる。

動と静の対比であり、その間に、「山のうへに」と、茅よりも、広い範囲を表す言葉がある。

「山のうへに」は6文字であり、時間的な間をもって、動から静への転換を作っている。

「彼岸のひかり」との「ひ」の重なりも注意して味わいたい。

 

斎藤茂吉自註『作家四十年』より

平福画伯が宮様御用邸の画を描かれるため熱海滞在中、高田浪吉君と私とが画伯を訪い、次いで十国峠に遊んだ時の歌である。ここでもっと作り、この三首も、新鮮な気持ちのつもりでいたが、たいしたこととはない。『秋の彼岸の光」というのでも、よい感じの歌とおもっていたが、やはりたいしたことはない。(-『作歌四十年 自選自解 斎藤茂吉』)

 

佐藤佐太郎の解説

 「やはりたいしたことがない」と言っているのは、後年の作者の感想だが、やはり注目していい歌である。「音立てて」などは、この作者の力量から云えば特にとりたててどうということもないものだが、この場合、動かない表現であるし、三句を「山のうへに」と字余りにし、「秋の彼岸のひかり」と悠然と単純にいったところなどもいい。それから上句の動によって、下句の生が特殊な感味をもって生きているおもむきも実にいい。さわやかで明るく、しかも身にしみる香気がある

―「茂吉秀歌」佐藤佐太郎

 

この歌の次の歌
はざまより空にひびかふ日すがらにわれは寂しゑ鳴沢のおと 斎藤茂吉『ともしび』

「ともしび」の一連の歌

ひがし風吹きしくなべにここよりぞ天城の山はおほにくもれる

ひと乗りてけふの朝明に駿河よりのぼり来し馬か山に草はむ

音立てて茅がやなびける山のうへに秋の彼岸のひかり差し居り


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